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このコーナーでは「国とは?」「地名とは?」といった、地域からは少し離れたテーマなども取り上げ、「歴史地名」を俯瞰してみました。地名の読み方が、より一層深まります。また「月刊百科」(平凡社刊)連載の「地名拾遺」から一部をピックアップして再録。

第81回 鋳物師屋
【いもじや】
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関の刀鍛冶の工房か
岐阜県関市
2013年05月24日

美濃と近江の国境、現在の岐阜県と滋賀県の県境にそびえる伊吹いぶき山(標高一三七七・四メートル)は、金属製錬に由来をもつ山とされる。その南東麓に位置する岐阜県不破ふわ垂井たるい町の伊富岐いぶき神社は、美濃の豪族伊福氏(伊福部氏)の祖神を祀るともいう。同氏は古代の踏鞴たたらをつかさどる製鉄関係の部民といわれる。また、同じく垂井町にある美濃国一宮の南宮なんぐう神社の祭神は金山彦命で、金山・採鉱・製鉄をつかさどる神とされる。
このように美濃国は、古くから製鉄・鋳物などと関係の深い国であり、同国の刀工によって作られた刀剣は、「美濃物」と総称されていた。なかでも、旧美濃国中央部に位置し、中世の刀鍛冶の流れをくむ「関」の刃物は有名で、現在も家内工業を基盤として、刃物の生産高は日本一という。

関の刀鍛冶の活動が顕著となるのは鎌倉期と伝えられる。刀匠の諸系図によると、弘長年間(一二六一‐六四)に九州から関へ来住した元重が刀の鍛錬を開始したといわれ、また、一説には正元元年(一二五九)に大和から兼永(兼光ともいう)が、また越前より金重が来住して刀鍛冶の祖となったともいわれる。関の刀鍛冶によって作られた刀剣は「関物」と称され、室町中期以降に大いに栄えた。寛正二年(一四六一)に京都東福寺の僧太極は、関鍛冶の守護神とされる春日神社(現関市南春日町)の別当寺大雄だいゆう寺を再興するために美濃に下向、彼の日記である「碧山日録」の同年一二月一二日条には、「里中之民過半鍛師也、其作名於天下、故召鍛師、求作剃刀数柄皆領之」と記されている。大永年間(一五二一‐二八)には金子孫六兼元(二代目)が出て、「関の孫六」として天下にその名をとどろかせた。
こうした歴史を反映してか、現在の関の市街地には、刀鍛冶に由来をもつ兼永かねなが町・元重もとしげ町・孫六まごろく町や鍛冶かじ町・金屋かなや町などの町名が存在しており、往古の繁栄に思いをはせる一助となっている。しかし、これらの町名は近世以降に成立したもので、中世より継承されたものではない。

これに対して、関市街の南東に鋳物師屋という大字がある。近世には鋳物師屋村といい、中世には吉田きった郷のうちであった。地名の初見は、延文四年(一三五九)一〇月二二日の足利義詮袖判下文案(佐々木文書)にみえる鋳物師屋郷で、応永一〇年(一四〇三)二月二八日の足利義満袖判御教書案(同文書)には吉田郷鋳物師として、その地名がみえる。吉田郷は現在の関の市街地を含む一帯に比定され、現在の鋳物師屋の地に、南北朝期以前より鋳物師が居住していたことをうかがわせる。
鋳物師屋とは、鋳物師の屋敷の意味と思われ、現在、各地に広く分布する金屋や鉄屋・鍛冶屋といった地名と同様に、製鉄所・精錬所、あるいは鋳物師の工房に由来をもつものと考えられる。これらが姿を現してくるのは、鋳物師が遍歴から定住へと、その存在形態を変化させる鎌倉後期から南北朝期にかけての時期と合致し、関の鋳物師屋の場合も、こうした動きに該当するのかもしれない。

滋賀県東浅井ひがしあざい郡浅井町に鍛冶屋かじやという古い歴史をもつ鍛冶屋の集落がある。香月節子・香月洋一郎両氏の現地調査(1986年平凡社刊『むらの鍛冶屋』所収)によれば、鎌倉時代に源頼朝が大和国宇陀うだ郡より二人の鍛冶職人を連れてきたことに始まるとの伝承があり、むらの成立は、農耕に携わっていた人々が鍛造技術を導入したのではなく、鍛造技術をもった人々が定住したことによるものか、あるいは鍛造技術をもった人々が、定住当初よりむらの中で大きな力をもっていたことによったか、と推測している。関の鋳物師屋の場合も、往古鋳物師がこの地を訪れ、村を開拓して代々鋳物師で生計を立てたことが村名の由来という(『美濃国加茂郡誌』)。
両者ともに定住の時期は示されていないが、前者には天正年間(一五七三‐九二)初期のものとされる羽柴秀吉が関わった鍛冶職人の文書(『滋賀県市町村沿革史』第四巻所収)が旧家に伝わっており、中世にその起源が求められよう。

鋳物師屋郷は、近世には加茂かも郡鋳物師屋村となり、天明二年(一七八二)と翌年には、当地の伊佐地喜左衛門が、この時代の日本の多数の鋳物師を支配していたとされる京都の蔵人所小舎人真継家より鋳物師職許状を得ている。そして、現在も伊佐地家の伊佐地勉可氏は、刀剣研磨において岐阜県の重要無形文化財保持者である。
なお、鋳物師屋集落の南東方、関市と加茂郡坂祝さかほぎ町との境にはカナクズ山がある。前述浅井町鍛冶屋集落を流れる草野くさの川を北にさかのぼった源流には、伊吹山地の一峰である金糞かなくそ岳(岐阜・滋賀両県境)がそびえる。カナクズ・金糞は、金属を細工する時に出る削りくずや、鉄を鍛える時にはがれ落ちるカスを意味する。岐阜・滋賀両県には刀鍛冶や鋳工の居住地、あるいは原料の供給地と推測されるタタラ(鑪・多多羅・多々良など)の地名(柳田国男『地名の研究』)も残っており、こうした地名の分布を検討することで、鋳物師・刀鍛冶の遍歴・定住に何らかの結論を出すことが可能かもしれない。

 

(A・K)

近世以降の成立だが、孫六町、鍛冶町、金屋町など刀鍛冶由来の町名が並ぶ関市街


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初出:『月刊百科』1989年11月号(平凡社)
*文中の郡市区町村名、肩書きなどは初出時のものである