第104回
「他人事」を何と読むか? 

 前回(第103回)「他山の石とせず」という間違った言い方が広まっていて、「他人事」の意味で使われているようだと書いた。実はこの「他人事」にあえて読み仮名を付けなかったのだが、皆さんはこの語を何と読んでいるであろうか。
 そのまま素直に読めば「たにんごと」。だが、伝統的な読み方は「ひとごと」なのである。
 「ひとごと」は『日国』によれば、平安時代から用例が見られる(『紫式部日記』)。それ以降の例も、軍記物の『曾我物語』(南北朝頃)、井原西鶴の浮世草子『懐硯(ふところすずり)』(1687)、谷崎潤一郎の『蓼喰ふ虫』(1928~29)などが引用されている。そして、「ひとごと」の表記も「人こと」「人事」「他人事」と様々である。
 『蓼喰ふ虫』は「他人事」で「ひとごと」と読ませているが、「他人」を「ひと」と読ませる例は、江戸時代後期から見られる。たとえば、為永春水(ためながしゅんすい)の人情本の代表作『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)』(1832~33)に使用例がある。
 また、単に「他」と書いて「ひと」と読ませている式亭三馬の滑稽本『浮世床』(1813~23)のような例もある。
 推測の域を出ないのだが、「ひとごと」は古くは「人ごと」「人事」などと書かれていたが、江戸後期に「他人」と書いて「ひと」と読ませるようになったために「他人事」という表記が生まれ、さらにこの「他人事」を「たにんごと」と読むようになったのではないか。つまり、「たにんごと」の読みは比較的新しい言い方だと考えられる。
 このようなこともあってテレビ・ラジオでは「たにんごと」とは言わないようにしているようだ。また、「常用漢字表」による限り「他人」を「ひと」とは読めないので、新聞は「他人事」とは書かず、「人ごと」「ひとごと」、テレビは「ひとごと」と書くようにしている。新聞やテレビ・ラジオで「人事」を使わないのは「じんじ」と紛らわしいからだと思われる。

キーワード:

さらに悩ましい国語辞典
―辞書編集者を惑わす日本語の不思議!―

日本最大の辞書『日本国語大辞典』の編集者はまだまだ悩んでいる! 辞書で定義しずらい言葉の悩み辞書にした「悩ましい国語辞典」の第2弾。
そんたく【忖度】[名]「忖」も「度」もはかるという意味。他人の心を推し量ることで「なにか配慮をする」の意味はない。/しんしゃく【斟酌】配慮までする意味なら「忖度」でなく、「斟酌」の方がしっくりする。この語「手加減する」と意味は変化し続け、今、忖度で起きている現象が斟酌でも起きている……

悩ましい国語辞典
―辞書編集者だけが知っていることばの深層―

「日本国語大辞典」の編集担当者を惑わすことばの不思議スリリングに揺れる日本語の深さ! 面白さ満載!
「うがった見方」は「疑ってかかるような見方」ではない/「悲喜こもごも」を合格発表の描写で使うのは誤り/「まじ! 」は、江戸時代の小説に使用例がある/スコップとシャベルはどちらが大きいか?西日本と東日本では違う/「谷」を「や」と呼ぶのは音読みでも訓読みでもない方言/「あばよ」の語源は幼児語の「アバアバ」

ジャパンナレッジとは

ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額550万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のインターネット辞書・事典サイト。
日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。

ジャパンナレッジ Personal についてもっと詳しく見る