日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第134回
「さみしい」と「さびしい」

 お近くに国語辞典があったら、「さみしい」という語を引いていただきたい。いかがであろうか。大方の辞典は「さびしい」を見よとなっているのではなかろうか。
 だが、「さみしい」と「さびしい」は本当に同じなのだろうか、というのが今回の話題である。
 『日本国語大辞典』によれば「さみしい」「さびしい」の関係は以下のとおりとなる。
 上代の「さぶし」が平安時代に「さびし」となり、それがさらに変化した語。近世以降「さびし」「さみし」は並んで用いられ、のち「さむしい」「さぶしい」の形もみられる。(「さみしい」の語誌)
 日本語ではバ行音とマ行音の交替はよく見られる現象で(たとえば「けぶり→けむり」など)、「さびしい」→「さみしい」もそれで説明ができる。
 また、この語を漢字で書くとすると「寂しい」か「淋しい」であろうが、常用漢字表には「寂」しか載っていない。しかも訓で示されているのは「さびしい」だけなのである。つまり常用漢字表ではさびしいかな、「さみしい」は無視されてしまったわけである。
 だが、NHKは「さみしい」の存在もしっかり認めていて、「〔サビシイ〕〔サミシイ〕両用の読みがある」(『ことばのハンドブック第2版』)として、優先順位は設けていない。
 ではどこが異なるかというと、たとえば「ふところがさびしい」「さびしい山道」と言うときに「さみしい」を使う人はあまり多くないであろう。また、「さみしい」に主観的、詩的なニュアンスを感じる人も多いのではなかろうか。発生から言えば「さびしい」「さみしい」は同義と扱って間違いないであろうが、微妙なニュアンスの違いはこのように存在するのである。それを辞書でも表現できればと思う。

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