第163回
「焦る」の新しい意味

 このコラムでは辞書編集者泣かせのことばをいくつか取り上げてきたが、今回の「焦る」もそういったことばのひとつである。
 たとえばみなさんは「転びそうになって焦った」とか、「取引先の部長の名前を呼び間違えそうで焦る」などと言うことはないであろうか。つまり、危険や失敗が間近に迫っているように感じて、冷や汗が出るほどひどく慌てる気持ちで「焦る」を使うかどうかということである。
 実はこの「焦る」は従来なかった新しい意味なのである。そのため国語辞典では、この意味を載せていないもの、載せてはいるが俗な言い方としているものと、扱いがまちまちになっている。
 では、「焦る」の本来の意味は何かというと、それは思い通りに事が運ばないので、急いでしようとして落ち着かなくなるとか、気がいらだつとかいったことである。たとえば、「残り時間あと1分と言われて焦る」「勝負を焦る」「気ばかり焦ってうまくできない」などといった使い方である。
 新しい慌てるという意味の「焦る」がどれくらい一般的になっているのか、残念ながら詳しい調査がないのでわからないのだが、筆者の印象ではかなり広まっているような気がする。実際筆者も、「コケそうになって焦った」などという言い方を親しい人には使っていることがある。
 用例主義の『日本国語大辞典』でも、第2版で中島梓の『にんげん動物園』(1981年)の「甘栗を買おうとして反射的に『あまつ……』と云いかけてあせることがある」という用例とともに、慌てるの意味が追加されている。この例が、慌てるの意味の初出例ではないであろうが、すでに30年以上前から使われ始めていることは確かなのである。
 しかしだからと言ってどんな場所でも使ってよいということではない。辞書での扱いが異なると言うことは抵抗を感じる人も多いということでもあるので、俗語であると理解したうえで、使う場所に気をつけた方がよいと思う。

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