第250回
「高等遊民」

 「高等遊民」という語が注目を集めているらしい。気の早い人は、今年の新語・流行語大賞にノミネートされるのではないかとさえ予測しているようだ。
 このあまり聞き慣れないことばが使われたのは、『デート~恋とはどんなものかしら~』(フジテレビ系)というテレビドラマだという。主人公の女性に絡む相手が、「高等遊民」と自称するニートの青年なのだそうだ。
 口に出して言ってみると「コートーユーミン」となって、何となく語呂がよく新鮮な感じがしないわけでもないが、実は最近生まれた語ではない。明治の末年から昭和初期にかけて流行したことばなのである。だから、「新語」と呼ぶにはかなり無理がある。
 この語はその当時も、「高等教育を受けていながら、職業につかずに暮らしている人。」(『日本国語大辞典』)という意味で使われていた。「遊民」とは、「定まった職業を持たず、仕事もしないで遊んでいる人。のらくら者。また、世俗を離れて人生の楽しみを追う人をさしてもいう。」という意味である(同書)。
 芥川龍之介は『侏儒(しゅじゅ)の言葉』(1923~27年)の中で「『振ってゐる』『高等遊民』『露悪家』〈略〉等の言葉の文壇に行はれるやうになったのは夏目先生から始まってゐる」と述べている。夏目先生というのはもちろん夏目漱石のことで、「高等遊民」は漱石の小説では『彼岸過迄』(1912年)の中だけに数か所登場する。だが、だからと言って漱石の造語というわけではない。たとえば同年に発表された森鴎外の『かのやうに』(1912年)という小説の中でも、「僕は画(ゑ)かきになる時、親爺が見限ってしまって、現に高等遊民として取扱ってゐるのだ」などと使われている。
 残念ながら、現時点では『彼岸過迄』『かのやうに』以前の確かな使用例が見つからないのではっきりしたことは言えないが、当時の新聞などでも使われていた語なのであろう。
 少し時代が下るが大正時代の新語辞典『新しき用語の泉』(1921年)には、「インテリゲンシャIntelligentia (露) 知識階級、高等遊民、と訳する。」とあるので、「高等遊民」は「インテリゲンチア(『新しき用語の泉』は「インテリゲンシャ」)」の訳語と考えられていたことがわかる。
 「インテリゲンチア」と自称されると鼻持ちならない人間のようだが、「コートーユーミン」などと言われると、何となく憎めない感じがしてしまうのは私だけであろうか。

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