第268回
幼児語から生まれた「あばよ」

 犬を「わんわん」、歩くことや足を「あんよ」、寝ることを「ねんね」などと言うのを「幼児語」ということはご存じだと思う。これらは幼児とその養育者との間で使われることが多いことばである。だから子どもがある程度の年齢になればあまり使われなくなる。だが、「うんこ」「おしっこ」などは、小学生になっても特に男児には大人気のことばだ。従来小学生向けの辞典では、このようなことばは下品だから避けたほうがいいという判断から、積極的には載せることはなかった。だが最近は日常生活で使われる語は辞典に載せるべきだと風潮が強くなり、多くの辞典が載せるようになっている。
 このような幼児語が元になって生まれ、いまだによく使われる語がある。意外に思われるかもしれないが「あばよ」がそれである。ただし幼児語が語源となる語はあまり多くはないので、かなり特殊な例なのかもしれない。もちろんこの「あばよ」は、タレントの柳沢慎吾の決めゼリフであり、また、研ナオコの大ヒット曲のタイトルにもなった、人と別れるときに言い交わす「あばよ」である。
 「あばよ」は、やはり別れの挨拶語である「さらば」をまねた幼児語「あば」「あばあば」の「あば」に終助詞「よ」が付いたものだと考えられている。幼児語の「あば」は、古くは江戸時代の小説にも使用例が見られるのだが、明治初年にアメリカの宣教師で医師でもあったヘボンが編纂した『和英語林集成(再版)』(1872年)には、「Aba アバ 子供と別れる時に用いられる。さようなら。あばあば。あばよ」と書かれている。
 この「あば」から生まれた「あばよ」のほうもやはり江戸時代には使われていて、髪結床に集まる江戸庶民の会話を中心に書かれた小説『浮世床』(1813~23年)の中でも、髪結床から帰る客が「ハイあばよ」と言っている。 この客は子どもではないので、「あば」や「あばあば」とは異なり、「あばよ」は大人でも使っていたことがわかる。
 現在では、幼児に対しても「あば」「あばあば」を使うことはほとんどないであろう。ただ、「あば」のバリエーションは方言に多いので、地域によってはまだそれらが残っている可能性はある。一方「あばよ」の方は、タレントの決めゼリフや曲のタイトルにもなるくらいで、「さようなら」のくだけた言い方として共通語化して、現在でもしっかりと生き延びている。

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