第271回
「いらっしゃい」

 表題のギャグで有名な上方の落語家、桂文枝師匠のことを話題にしようというわけではない。人が来たときなどに、歓迎の気持ちを表して言う挨拶のことばとしての「いらっしゃい」を取り上げたかったのである。
 「いらっしゃい」は、「よく来た」という意味の敬語表現「ようこそいらっしゃいました」などの簡略形から生まれた表現だと言われている。
 もとになった「いらっしゃる」は、元来は、「行く」「来る」「居る」の意の尊敬語である。『日本国語大辞典』によれば、たとえば「来る」の意味の尊敬語としては、江戸時代の洒落本と呼ばれる小説『廓通遊子(かくつうゆうし)』(1798年)に、「どなたもよふいらっしゃりました。きつひ御見かぎりでござります」とある。洒落本とは遊里の内部や遊女、客の言動を、会話を主体に描いた小説である。このような「よふ(よう)いらっしゃりました」が、やがて「いらっしゃい」という挨拶のことばに変化していったものと思われる。実際『廓通遊子』と同時代の洒落本には、「『ヤいらっしゃひ』とおきなをる」(『仮根草(かりねぐさ)』1796年頃)のように、すでに挨拶ことばとしての「いらっしゃい」が出現している。
 「いらっしゃい」のより丁寧な言い方として、「いらっしゃいまし」「いらっしゃいませ」がある。語尾の「まし」「ませ」は丁寧の助動詞「ます」である。
 「いらっしゃいまし」は、たとえば江戸時代後期の人情本と呼ばれる一種の恋愛小説の『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)』(1832~33年)には、「うなぎや『いらっしゃいまし。お二階へいらっしゃいまし』」という一節がある。この、『春色梅児誉美』の例は、前の「いらっしゃいまし」とあとの「いらっしゃいまし」では意味が違うことにお気づきだろうか。前が挨拶語で、あとのは「二階へおいでなさい」という命令表現である。
 話はいささか脱線するのだが、「うなぎや」にこのように言わせたのは、『春色梅児誉美』の主人公丹次郎と許嫁(いいなずけ)のお長(ちょう)という若い男女である。往来でばったり出会った二人が、どこかでご飯を食べようとたまたま入った鰻屋で、いきなり二階に案内されるのである。このあとに、店の女がわざわざ二人の脇に衝立(ついたて)を立てるという描写もあり、このことから蕎麦屋の二階はかつて男女の逢い引きの場であったと言われているが、鰻屋の二階も同様であった可能性を感じさせる。
 閑話休題。インターネットで検索すると「いらっしゃい」を「ゐらっしゃい」と表記したものが見受けられる。これは「居る」の歴史的仮名遣い「ゐる」からの類推から生じたものと思われる。だが、文法的な話で恐縮なのだが、「いらっしゃる」は「いらせらる」から生まれた語で、「いらせらる」は、動詞「いる(入)」の未然形+尊敬の助動詞「す」の未然形+尊敬の助動詞「られる(らる)」から成る。「入る」の歴史的仮名遣いは「いる」であるから、「ゐらっしゃい」は誤用である。

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