第279回
出る○は打たれる

 「出る○は打たれる」の○に入る漢字一文字を答えなさい、という問題があったとする。皆さんは何と答えるだろうか。
 大方は「杭(くい)」とお答えになるだろうし、正解も通常ならそれで間違いないということになるであろう。
 だが、なぜ断定せずにこのようなあいまいな言い方をするのかというと、文化庁が調査した2006(平成18)年度の「国語に関する世論調査」で、「出るは打たれる」と答えた人がもちろん多数派を占めていたのだが(73.1パーセント)、それとは異なる「出るは打たれる」を使う人と答えた人が2割近く(19.0%)いたからというわけではない。
 従来の説明ではこの「出るは打たれる」は誤用ということにされていたのだが、本当にそう言い切れるのかという疑問がないわけではないからである。
 「出る杭は打たれる」ということわざの意味は、才能や手腕があって頭角をあらわす者や、さし出たことをする者は、とかく他から憎まれたり、人から非難されたりするということである。
 その用例は江戸時代前期から見られる。

 「縦(たとえ)ば出るくゐのうたるると俗にいふごとし」(『北条五代記』巻二)

 『北条五代記』(1641年刊)は小田原北条氏にかかわる記事を収録した江戸時代の軍記である。
 これに対して「出るは打たれる」はそれよりもかなり新しいものではあるが、『日本国語大辞典 第2版』には昭和の初め(1931年)の用例が初出として引用されている。

 「そンぢゃけんどわれ、皆がその気なら、あまり憎まれん方がええぞ。出る釘ア打たれるちゅさけな」(須井一『綿』)

 須井一(すいはじめ)は本名谷口善太郎、京都清水焼の陶工(とうこう)から政治家となり、須井一名で小説も書いた人である。
 さらにこの例よりも6年古い、哲学者で評論家でもあった三宅雪嶺(1860~1945)の以下のような用例もある。

 「中に際(きわ)だって立身出世するものもあるけれど、さういう事をしなくてもよく、出る釘は打たれる、餘計(よけい)な事をしないに若(し)くはないと思はれる」(「新時代の家庭」『太陽』1925年11号所収)

 「杭」「釘」と漢字で書くともちろん大きく違うのだが「クイ」「クギ」と声に出して言ってみると、「イ」「ギ」の差はそれほど大きくなさそうな気がする。そんなこともあって「杭」「釘」両方が古くから供用されていた可能性は否定できないと思う。
 ただし、「杭」と「釘」とでは意味が若干異なりそうだ。「杭」の場合は地面に並べて打ち込むときに高さが出すぎているものは頭をたたいて高さをそろえることであり、「釘」の場合は頭が出ているものは危険なのでたたかれてひっこめさせられるということになろうか。
 ただし、ことわざとしての意味には大きな違いはない。
 ちなみに、最近「出過ぎた杭は打たれない」という表現を見かけることがある。
 たとえば、先ごろ亡くなった堀場製作所の創業者堀場雅夫氏の著書『仕事ができる人できない人』(2000年)には、

 「『堀場はうるさい』『わがままだ』という人物評になってくれるのであれば、私としてもやりやすくなるからだ。『出すぎた杭』は、もはや打たれないのである」

とある。「出すぎた杭」が括弧(かっこ)つきになっているのは、この言い方が新しいものであることを念頭においてのことであろう。だが、残念ながらだれが言い始めたものかは今のところわかっていない。

〔本稿は、国語研究所とLago言語研究所が開発したNINJAL-LWP for BCCWJを利用しました。〕

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