第289回
「通り」の仮名遣いとNHK

 NHK-BSの歌番組を見ていたときのことである。歌手のクリス・ハートさんが、自分が日本に来たきっかけになった歌だと言って、ドリームズ・カム・トゥルーの「未来予想図Ⅱ」を歌っていた。そのとき画面の下に歌詞が表示されたので目で追っていたら、「おもったとうりに」というところがあったためとても驚いた。
 もちろん「おもったとうり」という場合の「とうり」は、「とおり」が正しい。われわれがふだん使っている現代語の仮名遣いは、1986(昭和61)年に内閣告示された「現代仮名遣い」をよりどころにしている。そこには、「次のような語は、オ列の仮名に『お』を添えて書く」として、「いきどおる(憤) おおう(覆) こおる(凍) しおおせる」などの動詞とともに、「とおる(通)」も挙げられているからである。
 「現代仮名遣い」ではその理由として、「これらは、歴史的仮名遣いでオ列の仮名に「ほ」又は「を」が続くものであって、オ列の長音として発音されるか、オ・オ、コ・オのように発音されるかにかかわらず、オ列の仮名に「お」を添えて書くものである。」と注記している。この手の文書はなんてわかりにくいのかといつも思うのだが、要するに、たとえば「とおる」の歴史的仮名遣いは「とほる」で、これはオ列の長音として発音されるから「とおる」とするというわけである。
 だが、このことを知らないはずのないNHKが、なぜ字幕では「とうり」としたのだろうか。考えられるのは、ドリカムの歌詞が「とうり」なのでそれを尊重したか、字幕を作成したNHKの担当者が「とうり」が正しいと思っていたかのどちらかであろう。

 なぜこのようなささいなことにこだわるのかというと、かねがねNHKのニュース番組などの字幕に違和感を持っていたからである。
 たとえば、街頭でインタビューを受けた人が「来れる」「着れる」「食べれる」など、いわゆるら抜きことばを使っているにもかかわらず、字幕のほうは「来られる」「着られる」「食べられる」と本来の言い方に逐一直しているところである。
 NHKは、このら抜きことばに関しては、「一段活用やカ変の動詞からでた『見れる』『出れる』『来れる』のような言い方は適当とは言えない、という態度を取っている」(NHK『ことばのハンドブック 第2版』)としている。そしてそれを認めない理由として、「人によっては『ら抜け』表現をまったく用いないばかりか、強い抵抗感さえ抱いているからである」と述べている。
 私もNHKの言う「『ら抜け』表現」を使わない一人だが、その理由は別に使うことに抵抗感があるからというわけではない。子どもの頃から使っていた言い方のほうが話しやすいからという、ただそれだけの理由である。
 文化庁の「国語に関する世論調査」でも、「来れる」のようなら抜きことばはことばの変化だと思っている人が増えつつあるという結果が出ており、2008(平成20)年度調査でも、41%の人がそのように答えている。だが、実態はさらに増えているのではないか。
 NHKがあえて「とうり」というドリカムの歌詞を尊重したというのなら、なぜ一般人のことばの使い方にはそれができないのであろうかという疑問がわいてくる。NHK内部のアナウンサーや記者が「『ら抜け』表現」を使わないという方針は、NHKが今まで担ってきた放送とことばという面から考えればわからないでもない。だが、一般の視聴者が語ったものにまでそれを適応して、わざわざ字幕で直してみせるというのはいかがなものかと思うのである。

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