第290回
「ありがとう」に続くのは「ございます」?「ございました」?

 お礼の手紙やメールを書くとき、「ありがとう」のあとを「ございます」とするべきか、「ございました」とするべきか悩んだことはないだろうか。
 これがたとえば何かの会のときにする挨拶なら、あまり悩むことはないかもしれない。開始の際には「本日はご来場くださいましてありがとうございます」と言うであろうし、お開きのときには、「おいでくださり、ありがとうございました」と言うであろう。
 「ありがとう」は、存在がまれである、めったにないという意味の形容詞「ありがたい」から生まれた語で、これが、うれしく思うなど、相手に対する感謝の気持ちを表す挨拶のことばになったものである。このような意味の「ありがとう」が広く使われるようになったのは江戸時代からで、それまでは「かたじけない」が使われていた。ただし、上方では「ありがとう」はあまり使われなかったらしい。
 ところで、『日本国語大辞典』で引用されている全用例で「ありがとう」を検索してみると、あとに続くのは「候」「ござる」「ござり(い)ます」「存じます」「さん」などで、「ございました」と続く例は一例も見当たらない。だとすると、「ありがとうございました」はけっこう新しい言い方だということが考えられる。
 では、なぜ「ありがとうございました」が生まれたのか。「ありがとうございました」には、「ありがたい」というもとになった形容詞本来の意味が残存していると考えられる。つまり、挨拶語としてではなく、めったにないということを述べているというわけである。たとえば「うれしい」が「うれしゅうございます」とも、「うれしゅうございました」とも言えるのと同じである。
 この「ありがとうございました」が次第に挨拶語に変わったと考えるべきであろう。
 今となっては使い分けはあまり厳しく考える必要はないであろうが、あえて言うなら、現在の事柄については「ありがとうございます」を、過去の事柄や間もなく終わることが確実な事柄については「ありがとうございました」と使うのが妥当だと思われる。
 なお、ことば遣いに厳しかったという落語家の十代目桂文治師匠(1924~2004年)が、この「ありがとうございました」についてたいへん興味深い発言をしているので、簡単に触れておきたい。文治師匠は以下のように述べているのである。

 「商人は『(ありがとう=筆者補)ございます』。『ました』じゃ、『もう、この後はご贔屓にして戴かなくても結構で』って言ってるようなもんですから……。縁切りですよ。」(桂文治著/太田博編『十代文治 噺家のかたち』2001年うなぎ書房刊)

 私は商人ではないが、これを読んでからはなるべく「ありがとうございます」と言うように心掛けている。

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