第311回
「気色ばむ」

 「批判されて気色ばむ」と言うときの「気色ばむ」を皆さんは何と言っているだろうか。大方は「けしきばむ」であろうし、もし人が「きしょくばむ」と言ったら、それって違うんじゃないの、とついツッコミを入れたくなってしまうかもしれない。
 確かに現在では「けしきばむ」と読むのがふつうであるし、通常の国語辞典も見出し語は「けしきばむ」だけである。だが、古くは間違いなく「きしょくばむ」と読んでいる例があり、「きしょくばむ」がぜったいに間違いだと言い切れないのである。
 たとえば、軍記物語『太平記』(14世紀後)の以下の例がそれである。

 「敵六騎切て落し十一騎に手負せて、仰(のり)たる太刀を押し直し、東寺の方を屹(きっ)と見て、気色(きしょく)はうたる有様は」(巻一七・隆資卿自八幡被寄事)

 ただし、この場合の「きしょくばむ(気色はう)」は、気負いこんだ顔つきをするといった意味で、現代語で使われるような、むっとした怒った表情をするという意味とは異なるのだが。
 そもそも「気色」を「けしき」と読むのは呉音、「きしょく」と読むのは漢音なのだが、「きしょく」と読む例は「けしき」よりもやや新しく中世以降に見られるようになる。
 「気色」は、物の外面の様子や外見から受ける感じというのが原義で、それがやがて表にあらわれた心の内面の様子、ありさまという意味になり、さらには怒りや不快などの強い感情をおもてに表すことを言うようになるのである。
 「気色ばむ」の「ばむ」は動詞を作る接尾語で、そのような性質を少しそなえてくるという意味を添える。「汗ばむ」「黄ばむ」などの「ばむ」も同様である。
 ちなみに「気色が悪い」とか「気色悪い」とか言うときの「気色」は「きしょく」と読み、「けしき」とは読まない。
 現代語では「けしきばむ」で定着している読みを、いまさら「きしょくばむ」まで認めろと言いたいのではなく、ことばとはかくも揺れるものであるということをご理解いただきたいのである。

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