日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第314回
「遺言」を何と読むか?

 「遺言」は「ゆいごん」と読むことが多いのだが、不思議な読みだと思ったことはないだろうか。「遺」は、ふつうは「い」と読むことが多く、「遺書」「遺産」はすべて「いしょ」「いさん」と読み、少なくとも現代語では「ゆいしょ」「ゆいさん」と読むことはない。ところが、この「遺言」を「いごん」と読んでいるのをお聞きになったことはあるかもしれない。法律用語としては慣用で「いごん」と読んでいるのである。
 そもそも「ゆい」は「遺」の呉音で、一般に読まれることの多い「い」は漢音である。「遺」を「ゆい」と読むのは、呉音は仏教関係の語の読みとなることが多いので仏教語には見られるが、一般語としては今では「遺言」だけであろう。一方、「言」の字音は「げん」が漢音、「ごん」が呉音である。つまり、「ゆいごん」は呉音読みなのである。
 「遺言」の確実な読みが確認できるのは、室町時代の辞書なのだが、その中の一つ、室町時代中期に成立した『文明本節用集』には「遺言 ユイゴン」とある。ところが、ほぼ同時代の国語辞書『運歩色葉集(うんぽいろはしゅう)』(1548年)には、呉音と漢音を組み合わせた「ゆいげん」の形も見える。さらには、辞書ではないが江戸時代には「いげん」と漢音で読んだものも見られる。
 なんだかややこしくなって恐縮なのだが、要するに「ゆいごん」「ゆいげん」「いげん」の3つの読みが併用されていた時期があったと考えられるのである。ただし、それらがまったく同じレベルで使われていたかどうかはよくわからない。
 現在、法律用語として使われる「いごん」は、一般的な読み読みである「ゆいごん」をもとに、「遺」の読み方としてはふつうな漢音のイを組み合わせて作られた新しい言い方だと思われる。それが使われ始めた時期は特定できないが、明治末年頃と推定されている。

キーワード: