第330回
「鮭」を何と呼ぶか?

 「お昼ご飯にお握りを買おう、何がいい?」
 「ぼくはシャケだな」
 「わたしもサケがいいな」
 よくある会話だと思う。会話の中で2人が言っている「シャケ」「サケ」は同じもの、すなわち魚の「鮭」のことであるが、なぜ「鮭」にはふた通りの言い方があるのかお考えになったことはあるだろうか。
 生の魚は「サケ」、切り身になったり調理したりしたものは「シャケ」と呼ぶ、という説明をする人もいる。だが、これは根拠のない俗説である。
 「鮭」を「サケ」と言った確実な例はけっこう古く、平安初期に編纂された現存する日本最古の漢和辞書『新撰字鏡(しんせんじきょう)』(898~901)に見える。そこには、

 「鮭 脯也 佐介」

とあり、「佐介」は「サケ」である。
 これに対して「シャケ」の確実な例はと言うと、『日本国語大辞典』(『日国』)によれば、『喰物生類むり問答』(1833~44)という江戸後期の例である。面白い例なので引用しておく。

 「寺にあらずして栗といふがいかに、宮にあらねど鮭(シャケ)といふがごとし」

 「栗(くり)」は「庫裏(くり)」、「鮭(しゃけ)」は「社家(しゃけ)」というしゃれである。
 この『日国』では、解説の末尾に「なまり」という欄を設けている項目がある。「なまり」というのは、「近代諸方言において、いわゆる標準語と発音のかたちは違っていても、もとは同じものから出たと見られる語」のことで、「サケ」の項目でも、「シャケ」を「なまり」として掲げている。そして各地の方言資料から「シャケ(シヤケ)」という発音の分布地域を示している。
 シャケ〔埼玉・埼玉方言・千葉・神奈川・山梨・静岡・神戸・紀州・和歌山県・広島県〕
 シヤケ〔茨城〕
といった地域がそうなのだが、これにより「シャケ」はけっこう広範囲で使われていることがわかる。
 「シャケ」をなまりだとする考えは、文部大臣(当時)の諮問に応じて日本語改善について建議する機関であった国語審議会(第五期 昭和34年~36年)でも取り上げられたことがある。そこでは、「『サ行・シャ行』(中略)相通なども,おおむねなまりとして扱ってよい」として、「サケ(シャケ)(鮭)」と「サカン(シャカン)(左官)」を例として挙げている。つまり、「サケ」を標準語的な言い方だとみなしたわけである。このようなことから、新聞なども、たとえば時事通信社の『用字用語ブック』を見ると、「サケ」と表記するようにしている。
 だが、なまりだからと言って「シャケ」を排除すべきものではないであろう。実際、各国語辞典も「シャケ」を空見出し(参照見出し)にして、解説を「サケ」に送っているものがほとんどである。
 なお余談ではあるが、新潟県の村上地方に「鮭の酒浸し」という名物料理がある。これを肴に飲む新潟の酒は格別なのだが、この料理をなんと読むべきかいつも悩んでいる。「酒」も「サケ」「サカ」というふた通りの読みが考えられるため、組み合わせが4通りにもなるからである。

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