第344回
「長広舌」

 先ずは以下の文章をお読みいただきたい。幸田露伴の『毒朱唇(どくしゅしん)』(1890年)という短編小説の一節である。

 「広長舌の糜爛(びらん)する程息巻いて小児には小児、大人には大人、牛飼にまで、相応な者を売りつけらるる小面倒が出来る者に非ず」

 冒頭で、おやっとお思いになった方も大勢いらっしゃることであろう。そう、「広長舌」の部分だが、ほとんどの方は「長広舌」だとお思いになっているのではないだろうか。だが、「広長舌」は露伴が間違っているわけではなく、ましてや誤植でもない。
 「長広舌(ちょうこうぜつ)」は、本来は「広長舌」だったのである。「広長舌」は元来は仏語で、仏の三十二相(仏の身に備わっている32のすぐれた特徴)の一つである。広く長く、柔軟で、伸ばし広げると顔面をおおって髪のきわにまで及ぶ舌だという(『日本国語大辞典』)。
 なぜ「広」と「長」がひっくり返ってしまったのかはよくわかっていない。もともと、長い舌や、口数が多いことをいう「長舌」という語と、 無責任に大きなことを言う「広舌」という語があったので、それと混同したのかもしれない。
 この「広長舌」が、のちにとうとうと説く巧みな弁舌の意味に転じ、語形も「長広舌」となって、長くしゃべり続けるという、現代語の意味になったのである。
 現代語の国語辞典には、「広長舌」を見出し語として立てているものはなく、「長広舌」のところでも、元は「広長舌」であることに触れているものは少なくなっている。現代語には残っていなくても、日本語の知識として知っていても無駄ではないような気がするのだが。
 ちなみに、1910(明治43)年の明治天皇の暗殺計画(大逆事件)で首謀者とみなされ、翌年処刑された幸徳秋水(こうとく・しゅうすい)に『長広舌』(1902年)という評論集がある。ところが、この本が中国上海で翻訳出版された際には、タイトルが『広長舌』になっていた。日本語になった「長広舌」では通じないと判断されたのであろう。

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