第350回
「木の芽和(あ)え」の「木」は、「キ」?「コ」?

 とある居酒屋でお品書きに「木の芽和え」とあったので、「『きのめあえ』をください」と言ったら、同席していた者からもお店の店主からもほとんど同時に、「『このめあえ』でしょ」と言われたことがある。「木の芽」とはサンショウの新芽のことで、「木の芽和え」はサンショウの新芽に、味噌や砂糖などをすりまぜて、肉や野菜などをあえたものをいう。
 負け惜しみでも何でもなく「このめあえ」と言うことももちろん知っていたのだが、自分の中では「きのめ」と言うか「このめ」と言うかで揺れていて、そのときの気分で適当に使っているような気がする。
 私自身はそうであるが、一般的な言い方はどちらなのであろうか。
 「木の~」という形の語は、「木」を「き」と読むか「こ」と読むのかふた通りがある。たとえば、「木の香」「木の根」などは「きの~」と読み、「木の間」は「この~」と読むのがふつうである。だが、「木の葉」「木の実」などは、「きの~」とも「この~」とも読まれる。
 「き」も「こ」も「木」という漢字の訓読みではあるが、「き」は単独で使われることもあるが、「こ」は他の語と複合して使われることが多く、単独で使われることはほとんどない。たとえば、「こもれび(木漏れ日)」や「こぬれ(木末)」などである。
 「きのめ」「このめ」の場合、国語辞典ではどちらも見出し語として載せているものがほとんどだが、特に以下の辞典には踏み込んだ記述がある。

『明鏡国語辞典』:「このめ」は、「きのめ」よりも雅語的な言い方。
『新明解国語辞典』:(「このめ」の項に)「きのめ」の古風な表現。
『三省堂国語辞典』:(「このめ」の項に)「雅語」。

 「雅語」とは、洗練された上品な語とか、正しいとされる優雅な語といった意味である。
 また、「このめ」の方が「きのめ」よりも古い例が存在することも確かである。『日本国語大辞典』の「このめ」の例は、サンショウの新芽のことではないが、平安時代の右大将藤原道綱の母の日記『蜻蛉日記(かげろうにっき)』(974年頃成立)の
 「三月になりぬ。このめすずめがくれになりて(=3月になった。木の芽が茂ってスズメの姿が隠れるほどになり)」
という例が一番古い。「このめすずめがくれ」なんて、何とも味のある表現ではないか。
 これに対して確実に「きのめ」と読んでいる例は江戸時代のものである。
 「きのめあえ」と言ってしまった私は、上品な言い方ができないと言うことになるのかもしれないが、少なくとも間違えてはいないということがわかり、少しだけ安心したのであった。

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悩ましい国語辞典
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「うがった見方」は「疑ってかかるような見方」ではない/「悲喜こもごも」を合格発表の描写で使うのは誤り/「まじ! 」は、江戸時代の小説に使用例がある/スコップとシャベルはどちらが大きいか?西日本と東日本では違う/「谷」を「や」と呼ぶのは音読みでも訓読みでもない方言/「あばよ」の語源は幼児語の「アバアバ」

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