第360回
「ふきまける」ってどういうこと?

 行きつけの焼き鳥店で店長が、「珍しい日本酒が入った」と言って、ビールの小瓶のようなものを出してきた。王冠で封をされているので、発泡酒らしいということはわかった。
 どこの酒蔵のものかと思ってラベルを見ると、高知県安芸市とある。その名も「あきとら」。この名からピンとくることがあったのだが、どうやら直接は関係がないらしい。この酒蔵の創業の方が、はるかに古いのである。だが、近年は関連の商品も出しているという。ここまでお読みになって、私が何の話をしているのかおわかりになったら、間違いなくわが党の士であろう。
 まあそれは余計なことだが、栓の下に紙が貼られていて、よく見ると「開栓時ふきまけることがあります」と書いてある。
 「ふきまける」?
 聞いたことも見たこともないことばなので、すぐにスマホを使って『日本国語大辞典(『日国』)』を引いてみた。だがそのような項目はどこにも見当たらない。
 発泡酒なので「ふく」は「噴く」だということはわかる。だが、「まける」は何なのであろうか。そこで今度は「まける」を『日国』で引いてみた。すると、方言に「まける」という語があるではないか。意味は、「水などがこぼれる。あふれる。」である。しかも分布地域は、「兵庫県淡路島/岡山県岡山市・児島郡/徳島県/香川県/愛媛県/高知県」となっている。
 これによって、栓の下の紙に書かれているのは、噴いてあふれることがあるから気を付けろということだとわかった。
 どうやら、「ふきまける」は使用地域がかなり限定された方言らしいのである。
 あとで東京女子大教授篠崎晃一氏の『出身地がわかる!気づかない方言』(幻冬舎文庫)を見ると、「まける」は「こぼれる」ことを意味する「四国を代表する気づかない方言だ」とあり大いに納得した。『日国』の分布地域もまさに四国4県が含まれているのである。
 「まける」は高知ではふつうに使われているので、当たり前のようにそう書いてしまったのかもしれない。さらにこの発泡酒は、県外、ましてや東京に出荷することをあまり考えていないということもありそうである。
 その後、篠崎氏からは「まける」に関連する「まけまけいっぱい」という方言もあるということを教えてもらった。「ビールをグラスにまけまけいっぱい注いでもらう」などと使うらしい。「まけまけ」はあふれそうになるほどなみなみと注ぐことで、これも高知など四国出身者が方言と気付かずについ使ってしまうことばなのだそうである。
 酒席でそう言われると、なんだか愉快な気分になれそうな方言である。

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