日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第78回
国語辞典にない「見せつける」の意味

 今回は先ず、お手元の辞書で「見せつける」ということばを引いてみていただきたい。
 大方の辞書は、「人に得意になって見せる。わざと人目につくようにふるまう。」(『日国』)などと解説されているはずである。「人前で仲のよいところを見せつける」のように使うときの意味がこれである。
 だが皆さんは「実力の差をまざまざと見せつけられる」のように、自慢をしているわけではなく、相手に強く印象づけるといった意味合いでこのことばを使うことはないだろうか。
 実は、ほとんどの辞書ではこの意味を載せていないのである。かなり古く存在する意味であるにもかかわらずである。
 たとえば、
 「太郎は、まのあたりに、自分の行く末を見せつけられたやうな心もちがした。」(芥川龍之介『偸盗(ちゅうとう)』1917年)
などがそれで、このような用例は芥川に限らず数多く見つけることができる。
 この意味を載せている辞書は、筆者が確認した範囲では『小学館日本語新辞典』と『三省堂新明解国語辞典』しかない。前者は「勢力、意志、状況を相手に強く印象づける。はっきり示す。」と、はっきりと意味分けして解説しているのだが、それ以外の国語辞典は『新明解』を除いて印象づけるという意味には言及していない。
 「見せつける」が印象づけるの意味になったのは、「つける」を強意ととらえたからと思われ、伝統的な用法としては誤用なのかもしれない。しかし、「強大な軍事力を見せつける」などの言い方がふつうに見られる今となっては、いささか遅きに失した感もなきにしもあらずだが、その意味も辞書に載せるべきなのではないだろうかと思う。

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