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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 350

『薩摩反乱記』(マウンジー著、安岡昭男補注)

2012/11/29
アイコン画像    明治維新の結果起こった「西南戦争」に、
今の日本の混乱が重なって見える?

 本当に明治維新は、素晴らしいものだったのだろうか。維新礼賛が大勢の昨今だけど、本当にそうかな、と天の邪鬼の私は思う。あの維新の精神性がその後の太平洋戦争にまで繋がっているんじゃないか。維新の名を掲げる党の党首は核保有を口にするし(某党首は国防軍化を提唱するし)、そう考えると、何やら背筋が寒くなる。


 〈維新の業に与(あずか)りて力ある他のおもなる人は、徳川を亡ぼすも、その国の旧制を廃滅する事を好まず、かつ企てざるなり。しかして皇帝(ミカド)の恢復によりて起こる全国中の熱心(熱狂)は、彼等を誘致してその邑土(領土)を奉還せしめ、かつ廃藩を肯諾せしめたり。しかれども彼等は、この処置は、少なくも〔廃藩は〕、彼等に取りてはただ名のみの変化と思惟せしがごとくにして……〉


 少々長い引用になったが、これは『薩摩反乱記』の一節。当時日本にいた英公使館員の見た、明治維新の姿である。つまり、明治維新に荷担した士族は、決して〈その国の旧制を廃滅する事〉を望んでいなかったというのだ。では何を欲していたのか。それは自分たちが徳川将軍家(=権力者)になりかわることだった。しかしすべてが権力側には立てない。あぶれた人間たちがおこした反乱――それが内戦・西南戦争という見立てだ。

 そもそも、維新を主導したのは薩摩藩である。そしてその首魁は、本書が記すとおり、西郷隆盛であった。だが維新の功労者は、政府に疎まれ、内戦で散る。

 もし、政府に理があったならば、西郷隆盛はただの反逆の徒である。だがそうならなかった。


 〈しかして世人の信ずるところに拠れば、かの大将の魂魄は火星の中に登遷(とうせん)し、この星出ずるときはその姿を見るべしと謂う〉


 この頃、火星と地球との距離が近くなっていたそうだが、いつもより明るく輝くこの星に、人々は西郷隆盛を見たのであった。〈日本では西南戦争後、西郷隆盛の霊とされ「西郷星」とよばれたこともある〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」、「火星」の項)。

 本書を読むと、明治維新という名の権力闘争に、人々が不満を抱き、半ば呆れつついたことが見て取れる。では、その維新再現を目指す、今の日本の政治の行き着く先は?

 この混乱がただの権力闘争なのだとしたら……ああ、悪寒がしてきた。風邪ならいいけど。


本を読む

『薩摩反乱記』(マウンジー著、安岡昭男補注)
今週のカルテ
ジャンル記録
時代 ・ 舞台明治時代初期の日本
読後に一言江戸の人々は、「御一新」をバカにしていたようですが、私もその気持ちに共感したくなりました。
効用西南戦争にいたるまでのプロセスが、丁寧に記録されています。
印象深い一節

名言
それ(西南戦争)は、日本の年代記の中で注目すべき一章をなすものであり、日本の歴史に一時期を画すものとなるように思われる。そしてそれは、どう見ても、封建制度をいくらか復活させようとする最後の真剣な企図であった。(序文)
類書旧会津藩士が見た幕末史『京都守護職始末(全2巻)』(東洋文庫49、60 )
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