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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 658

『梵雲庵雑話』(淡島寒月著、紅野敏郎解説)

2013/03/21
アイコン画像    追悼・山口昌男――氏の代表作を通じて、
明治の教養的趣味人のエッセイを読み解く

 学生時代に友人とよく、トリックスターだ周縁だと言い合っていたが、何のことはない、山口昌男氏の本の受け売りであった。つまり「俺は山口昌男を読んだ」という自慢だ。ニューアカ末期の恥ずかしい記憶である。

 その氏の訃報を受け、このコーナーとしての追悼の仕方は、『梵雲庵雑話』を取り上げることだろう。氏の代表作『「敗者」の精神史』(岩波書店)の中で、3、4章を割いて取り上げているのが、本書著者の淡島寒月、その人なのだ。「日本人名大辞典」(ジャパンナレッジ)にいわく。


 〈明治―大正時代の小説家、俳人、好事家。(中略)小林椿岳(ちんがく)の子。江戸文学とくに井原西鶴の研究、紹介につとめ、明治の文壇に影響をあたえる。古美術、考古学に造詣がふかく、晩年は玩具収集に熱中した〉


 簡単に言うと、はちゃめちゃな教養的趣味人だ。


 〈雲烟去来、おのずからのゆきゝに任せ、三分間にして移り去るというのが私の趣味に対する見解である〉


 実際、寒月がはまったのは、井原西鶴、古美術、考古学、キリスト教、進化論的唯物論、社会主義、埴輪、エジプト、玩具収集、絵画……と多種にわたり、宗教でさえも、〈宗教を趣味の箱に入れて了(しま)う〉とのたまうのだから恐れ入る。寒月、続けていわく、


 〈つまり宗教を通じて外国の趣味を感得したいと云うのが自分の主義です。されば信ずるものは何かと云えば、「眼鏡は眼鏡、茶碗は茶碗」とこの一言で充分でしょう〉


 お見事! 何と軽やかなことか。

 山口昌男氏の『「敗者」の精神史』は、いわば中央(公的世界のヒエラルヒー)から離れた周縁で、〈もう一つの日本〉を作ってきた人々にスポットを当てた。その代表が淡島寒月というわけだ。そして山口氏は、こうした生き方を、〈二十一世紀に日本が生き残るために見習わなければならない〉と説く。氏の追悼を兼ねて、氏が椿岳・寒月父子をどう評価していたか、ここに記したい。


 〈富国強兵・立身出世の時代に生きながら、その何れのイデオロギーにも与することもなく、しかも世をすねたりすることもなく、飄々と、そして淡々と、自らもこの世を愉しみつつ、人も愉しませ、時代の面白き部分とはちゃっかりと対話して、低エントロピーの生き方を貫いた、或る種の人生の達人であった〉


 寒月的な趣味や教養は無駄と切って捨てる時代に、窮屈さを感じるのは私だけではないはずだ。

本を読む

『梵雲庵雑話』(淡島寒月著、紅野敏郎解説)
今週のカルテ
ジャンル随筆
時代 ・ 舞台明治-大正時代の日本
読後に一言ちなみに、『「敗者」の精神史』によれば、160人の妾がいた父・椿岳の辞世の句は、〈今まではさまざまの事してみたが/死んでみるのは之が初めて〉。下の寒月の辞世の句とあわせて味わってみてください。
効用明治初期、〈当時の床屋の表には、切った髷を幾つも吊してあった〉というくだりなど、明治の風俗も垣間見えます。
印象深い一節

名言
我れと生き我れと死するも我がことよ/その我がまゝの六十八年(辞世の句)
類書本書編纂者・斎藤昌三のエッセイ『閑板書国巡礼記』(東洋文庫639 )
淡島寒月も登場する文芸エッセイ『文芸東西南北』(東洋文庫625)
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