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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 26

『長崎海軍伝習所の日々 日本滞在記抄』(カッテンディーケ著、水田信利訳)

2013/05/16
アイコン画像    幕末の日本、オランダ士官が警鐘を鳴らす、
“井の中の蛙のプライド”が国を滅ぼす?

 先日、画家の堀文子さん(95歳)にお会いする機会があったのだが、「戦争に突入する前に、学校教育からおかしくなっていった」とおっしゃっていた。教育をねじ曲げていくのは政府の常套手段である、と。「だから私は今の世が恐ろしい」。戦争を体験した堀さんの言葉は重い。

 教育とは何か。と大上段に掲げても答えは出ないので、代わりに幕末のある教師に登場いただこう。オランダ軍人のカッテンディーケ(カッテンダイケとも)である。〈(一八)六六年二月六日五十歳で死去するまで海軍大臣を勤めた〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」、「カッテンダイケ」の項)というひとかどの人物だ。

 このカッテンディーケ、何の教師かと言えば、幕末に江戸幕府が雇った海軍の指導者なのである。氏は長崎海軍伝習所(幕府が作った海軍教育機関)の教官で、生徒にはあの勝海舟や榎本武揚など、そうそうたる面々が並ぶ。『長崎海軍伝習所の日々』は氏の滞在記なのだが、その日本人観察は秀逸である。


 〈町人は個人的自由を享有している。しかもその自由たるや、ヨーロッパの国々でも余りその比を見ないほどの自由である〉


 〈日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである〉


 などなど。おおむね日本を評価しているのだが、途中、強い調子で日本に異を唱えている箇所があった。


 〈私は或る階級の日本人全部の特徴である自惚れと自負は、すべて教育の罪だと思う。(中略)日本国民が、井中の蛙のごとき強烈なる国民的自負を持つのも、あながち驚くには当たらない〉


 教育改革を唱える人たちに共通するのは、「日本のプライドを取り戻す」という一点だ。これってでも、カッテンディーケの言う、〈井中の蛙のごとき強烈なる国民的自負〉と同じものじゃないだろうか。私には、プライドを取り戻す=井中の蛙になれ、と聞こえる。

 しかもカッテンディーケは予言していた。


 〈日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出遭うことかと思えば、恐ろしさに耐えなかった故に、心も自然に暗くなった〉


 維新後、日本は、日清、日露、太平洋戦争と突き進んだ。くだらないプライドの行き着いた結末である。

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『長崎海軍伝習所の日々 日本滞在記抄』(カッテンディーケ著、水田信利訳)
今週のカルテ
ジャンル記録/随筆
時代・舞台幕末の日本
読後に一言景気が良くなったと明るくならないといけないんでしょうが、なぜか暗くなってしまうんですよね。本書を読んでますます暗澹たる気持ちになりました。
効用勝海舟をはじめ、こうした幕末の人物たちの若き日々を垣間見るのも、この書の楽しみのひとつです。
印象深い一節

名言
私は同人(勝海舟)をただに誠実かつ敬愛すべき人物と見るばかりでなく、また実に真の革新派の闘士と思っている。要するに、私は彼を幾多の点において尊敬している。
類書会津藩士が見た幕末『京都守護職始末(全2巻)』(東洋文庫49、60)
英国人記者が見た幕末・維新『ヤング・ジャパン(全2巻)』(東洋文庫156、166)
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