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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 597

『小シーボルト蝦夷見聞記』(H.vonシーボルト著、原田信男、H.スパンシチ、J.クライナー訳注)

2015/12/03
アイコン画像    シーボルトの“変人”次男による、
19世紀末のアイヌの生活体験記

 シーボルトの名は皆さん、ご存じでしょう。当欄でも自著『江戸参府紀行』、長男が記した『ジーボルト最後の日本旅行』、伝記『シーボルト先生 その生涯及び功業』を取り上げて来ましたが、実は、もう1冊あるのです。父、大シーボルトに対応する形で、「小シーボルト」と言われた次男、ハインリヒ・フォン・シーボルトの『小シーボルト蝦夷見聞記』です。彼は興味深い人物で、外交官の兄アレクサンダーが評価され、ドイツと日本政府から勲章を貰ったのとは対照的に、弟のハインリヒは忘れられた存在です。私も本書で始めて知りましたが、モースと同時期に貝塚を発掘し、考古学に先進的な論文を発表しています。しかし、日本に行きたいばかりに高校を中退したのがマイナスだったのか、日本語をペラペラ喋るのに漢字がだめだったのが悪かったのか、オーストリア=ハンガリー帝国の外交官として功績を残したにもかかわらず、「日本好きの変人」の扱いの域を出なかったようです。

 で、そのハインリヒが1878年に北海道を旅し、アイヌ民族と起居を共にした記録・考察が本書なのです。

 先日、新千歳空港に掲げられた「北海道は、開拓者の大地だ」と書かれた日本ハムファイターズの垂れ幕広告が北海道アイヌ協会の抗議で取り下げられる、という出来事がありましたが、日本人の多くは今もなお、アイヌ民族の存在を認識していないのではないでしょうか。日本人でもアイヌ民族でもないハインリヒは、アイヌを冷静に見つめます。


 〈アイヌの家庭生活は、私が彼らと一緒に暮らした間に観察し得たかぎりでは、非常に幸福である、といっても決して過言ではないだろう〉

 〈アイヌの行動と単純な掟からは、あらゆる残酷な行為に対して、彼らが嫌悪感を抱いていることが明らかになる、と思われる〉


 ハインリヒはアイヌに、ユートピアを見出しているのではありません。〈残念ながら――きれい好きではなく、迷信深い〉と、特に住居の汚さに閉口しているほどです。しかし和人(日本人)の言うアイヌのイメージと、実際のそれでは違った、と記します。それどころか日本政府は、〈人々の心をそそる提案を行なうなどして、蝦夷を植民地化するために、あらゆる資力を尽くしている〉。

 私たちは開拓の名の下に北海道を植民地化したのです。そしてアイヌは呑み込まれた――。本書は、まだかつての風俗習慣が残るアイヌの貴重な記録なのです。



本を読む

『小シーボルト蝦夷見聞記』(H.vonシーボルト著、原田信男、H.スパンシチ、J.クライナー訳注)
今週のカルテ
ジャンル紀行/民俗学
時代 ・ 舞台明治初期の日本
読後に一言アイヌのカムイ(大霊、神)との向き合い方も詳しく書かれていましたが、非常に考えさせられました。
効用図や注も豊富で、アイヌの文化・風俗のわかる優れた資料です。
印象深い一節

名言
彼ら(アイヌ)は、どんな親切な言葉でも、一つ一つ感謝に満ちた態度で受け取る。いわばその言葉の意味を、できるだけ味わうように、その言葉を繰り返す様子を見て、私も感動を覚えたのである。(「蝦夷島におけるアイヌの民族学的研究」)
類書大森貝塚の発見者モースの北海道への旅『日本その日その日2』(東洋文庫172)
北海道にも渡ったイサベラ(イザベラ)・バードの『日本奥地紀行』(東洋文庫240)
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