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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 29

『板橋雑記・蘇州画舫録』(余懐著、西渓山人著、岩城秀夫訳)

2017/05/11
アイコン画像    明末の南京・秦淮と清中期の蘇州の
遊里&名妓のレポート

 おそらく、というより間違いなく、東京五輪に向けて、都の繁華街は「浄化」されていくのだろうな、と本書『板橋雑記・蘇州画舫録』を読んでしみじみと思いました。

 本書は、明代末から清代にかけて華やいだ遊里――南京・秦淮(「板橋雑記」)、そして清代中期の蘇州(「蘇州画舫録」)の名妓・遊女たちのレポート、というのが最も相応しい説明でしょうか。なにせ、〈色の道の天国、太平の御代の楽園〉ですからねぇ。それを伝える筆致のいちいちが色っぽいのです。

 あるトップの名妓の台詞。


 〈どんなお方でもわたしどもの家にお越しになりましたら、堅いお志も蕩(とろ)けてしまい、心の底から色の道に迷いこみ、すっかり溺れこんでしまってお帰りになるのでございます〉


 ゾクッときます。

 もちろん「遊女」は日本にも古くからいました。


 〈日本の文献に遊女のことが出るのは《万葉集》の遊行女婦(うかれめ)が最も古く,以後10~12世紀ころまでに,うかれめ,遊女(あそびめ)/(あそび),遊君(ゆうくん),および中国語の妓女(ぎじよ),娼女(しようじよ),傾城(けいせい)などの称が使われるようになった〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)


 本書を読んでいて「なるほど」と思いましたが、遊女が評価されるのは、器量だけではありません。歌や楽器、古典の教養なども評価の対象でした。日本も同じです。


 〈遊廓は身分差別を越えた遊び場であったから、たえず華々しい遊女争いが起り、文学・演劇の豊かなニュース=ソースとなった。また遊廓での平和な豊かな遊びのなかから多種多様の新しい文化が創造され、かつ、その源泉ともなった〉(同「国史大辞典」、「遊廓」の項)


 〈遊廓が近世文化全体のなかで占める比重はきわめて大きい〉(同前)と断言しているくらいですからね。遊里や遊女は(日本でも中国でも)、ひとつの文化発信装置であったことは間違いないでしょう。そして本書の世界でも、江戸の吉原でも、名妓を身請けすることは名誉でした。決して下位の存在ではなかったことが、本書の本気度からもわかります。しかし遊里は今、風俗街と名を変え、最下層に位置づけられています。だから「浄化」という発想になる。平和でも豊かでもないよなあ。現代の遊里にも、文化や粋があると思うのだけれど。



本を読む

『板橋雑記・蘇州画舫録』(余懐著、西渓山人著、岩城秀夫訳)
今週のカルテ
ジャンル風俗
時代 ・ 舞台17世紀から18世紀の中国
読後に一言『板橋雑記』の著者が、〈わたしはこの書物を編集するにあたって、歌妓たちの芳姿を後世に伝えるとはいうものの、実は訓戒を垂れるためであって……〉と言い訳しているのが、笑えました。
効用読むだけならば、〈ふと気がついてみると、着物はやぶれ、あり金は残らず使い果している〉ということはありません。きらびやかな世界へようこそ。
印象深い一節

名言
柳が糸を垂れ、曲りくねった路地の奥には、きらびやかな部屋がひっそりとあるわけで、そこでは銀の燭台のもとで大尽に泊りをすすめ、黄金の觴(さかずき)で客に酒を勧めるのである。
類書唐代の花街の様子『教坊記・北里志』(東洋文庫549)
著者が参考にした北宋・首都の繁昌記『東京夢華録』(東洋文庫598)
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