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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 529

『陶淵明詩解』(鈴木虎雄訳注、小川環樹解題)

2011/05/12
アイコン画像    隠遁の詩人、陶淵明の"凝縮された言葉"は、
挫けそうな心でも後押ししてくれる。

 〈得失(とくしつ) 得(また) 知らず

 是非 安(いづくん)ぞ能(よ)く覚(さと)らん

 千秋(せんしゅう) 万歳の後(のち)

 誰か 栄(えい)と辱(じょく)とを知らん

 但(ただ) 恨む世に在りし時

 酒を飲む 足るを得ざりしことを〉


 鈴木虎雄の義解(名訳です!)をそのまま記す。


 〈何が損か得かも知らぬし、何が是か非かもおぼえがない、千年も万年もの後に、栄誉だの恥辱だのといふことをだれが知ることができようぞ、今になって恨めしくおもはれるたつた一つの事は、自分がまだ世に生きてゐたとき十分に酒が飲めなかつたといふことだ〉


 いやー、深いですなぁ。これは陶淵明の「挽歌詩/其一 有生必有死」の後半部分である。挽歌とは死者へのはなむけの詩だが、陶淵明は自分に向かって歌っている。自分の人生、損得で振り返りもせず、他人の評価は意図的に無視し、そして「もっと酒を飲みたかったなあ」と笑う。そこには、貧乏暮らしで酒が思うように買えなかった、という伏線があるのだが、そんな暗い話すら吹き飛ばす明るさと力強さが、この詩にはある。

 私が慌てて『陶淵明詩解』を手に取ったのは、作家・大竹昭子さんの言葉を新聞報道で知ったから。大竹さんは去る3月27日、詩の朗読会を開いたのだが、それは次のような理由からだったという。

 「被害報道などで情報の言葉があふれている。今、ほしいのは小説などの散文よりも、詩や短歌、俳句など凝縮された言葉だと思った」(毎日新聞2011年5月2日)


 陶淵明(365~427)は、「隠逸詩人」と呼ばれる詩人だ。出世競争に敗れ、故郷に戻ったのは41歳の時(その時の歌が有名な「帰去来辞」だ)。以来、土に親しみながら、スポットライトを浴びぬまま63年の生涯を閉じる。食うや食わずの境遇を嘆くわけでもなく、時には自虐的に、時には世に対して皮肉たっぷりに、自身の思いを言葉にしていく。シニカルさと自己への冷徹な眼差しが効いているからか、重い内容の詩も、どこか軽やかだ。「飲酒」シリーズの詩なんて、陶淵明のほろ酔いの顔が浮かんできそうなくらいなのだ。

 それはまさに、“凝縮された言葉”だった。

 口に出してみる。脳ではなく、身体で味わう。心身にたまった澱が、溶け出した気がした。

本を読む

『陶淵明詩解』(鈴木虎雄訳注、小川環樹解題)
今週のカルテ
ジャンル文学
時代 ・ 舞台東晋・中国
読後に一言これぞ、意志ある「田舎暮らし」。
効用軽やかで力強い言葉が、心身にどっと染み込んできます。
印象深い一節

名言
平生(へいぜい) 酒を止(や)めず/酒を止むれば情(じょう)喜ぶなし(自分はふだん酒をやめずにゐる、やめては心になんのよろこびもなくなるからである)(「酒を止む」)
類書中国で愛誦されてきた唐詩集『唐詩三百首(全3巻)』(東洋文庫239、265、267)
酒好きの陶淵明も紹介される『中国の酒書』(東洋文庫528)
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