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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 469

『八代集3』(奥村恒哉校注)

2011/07/28
アイコン画像    源平争乱の中、新しい時代に向かっていった
時代、その萌芽は勅撰和歌集の中にあった!

 『金葉和歌集』『詞花和歌集』『千載和歌集』と聞いて、私はまったくピンと来なかったのだが、どれも1100年代、源平の争乱期に編まれた勅撰和歌集だそうな。

 これらを収録している『八代集3』を読んでいて驚いた。『金葉和歌集』(源俊頼撰)に「連歌」という項目があったからである。

 連歌という「座」の文学が流行ったのは鎌倉初期から近世初期までの約400年間。有名なものの1つは、明智光秀が本能寺の変直前に開いた「愛宕百韻」で、光秀の発句「ときは今天が下しる五月哉」が「天下取りの意思表明」というのが後世の説だ。

 この当時、「文字が読め、書ける教養があって連歌に関わらなかった者はいなかったと言ってよい」(『連歌入門』廣木一人/三弥井書店)という専門家の指摘があるぐらいで、「連歌はまさしく国民文学であった」(同前)。

 それが平安末期の勅撰和歌集になぜ? と思ったが、よくよく調べてみると、これは「短連歌」と呼ばれるものだった。『金葉和歌集』から一例を紹介しよう。


 〈日のいるはくれなゐにこそ似たりけれ/観暹法師〉

 〈あかねさすともおもひけるかな/平為成〉


 前半の長句五七五と、後半の短句七七を別の人物が詠む。いわば二人の合作だ。これが「短連歌」。室町期の連歌(長連歌)になると、数人から10数人で、長句と短句を交互に詠んでいく。「座の文学」といわれる所以だ。当時は句の優劣で賞品が出たこともあったそうで、その熱狂ぶりは『醒睡笑』(東洋文庫)などにくわしい。

 こうした熱狂的連歌に至るまでに、そうか「短連歌」の遊びがあったのか。というのが今回の私の収穫。

 そういう目で残りの2つを見ると、例えばその次の『詞花和歌集』(藤原顕輔撰)は、その芸術性はともかく、“新しいこと”に挑戦した和歌集だったようである。

 〈新奇で俳諧的なざれ歌も目立つ〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」)

 となると次の『千載和歌集』(藤原俊成撰)は揺り戻し?

 〈金葉・詞花時代の趣向のおかしさや表現の奇抜を抑えて、三代集時代の古典的抒情を宗とし、新しく余情幽玄を志向、述懐的詠嘆的なしらべが中軸となっている〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」)

 と、ここまでで「八代集」のうち、7つめまでクリア。残るは大物『新古今和歌集』である。古今からの流れは新古今でどう結実するのか。次回を待たれよ。

本を読む

『八代集3』(奥村恒哉校注)
今週のカルテ
ジャンル詩歌
時代 ・ 舞台平安末期の日本
読後に一言連歌をやってみたい。
効用時代が混沌とし、新しい時代に向かおうとしている時、文学はどうなるのか。そんなことを考えさせられます。
印象深い一節

名言
をのか(おのが)身のをのか(おのが)心にかなはぬをおもはゝ(思わば)物はおもひ(思い)しりなん(和泉式部「詞花和歌集」)
類書収録歌集を評論『国文学全史2』(東洋文庫247)
連歌師のエピソード満載『醒睡笑 戦国の笑話』(東洋文庫31)
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