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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 10

『捜神記』(干宝著、竹田晃訳)

2011/11/10
アイコン画像    すべてを想定内と受け止める不思議な小説が
あった? 1700年前誕生の中国小説の祖。

 ホリエモンが口にして以来、「想定外」という言葉は市民権を得、今ではこの言葉がテレビから聞こえてこない日はない。東電が使ったおかげで、「想定外」バッシングも起きているようだけど、じゃあどうしたらいいのか、というのが案外ムズカシイ。さまざまな議論をみてみると、結論としては「想定内」の範囲を拡げよう、ということのように思える。しかし人間の想像力なんてたかが知れているから、どんなに範囲を拡げても、「想定外」の事態はなくならない。

 自分も含めて、「理屈」に縛られているのかもしれない。理屈を付けて納得する(つまり想定内とする)。その作業をし続けているのが現代人と言えるだろう。

 そんなことをつらつらと考えたのは、「中国小説の祖」といわれる『捜神記』を読んだから。


 〈文章も優れ、神仙、方士(ほうし)、占卜(せんぼく)、風神、雷神など天地の神々、吉兆、凶兆、孝子烈女、妖怪、異婚異産、死者の再生、幽鬼幽界、動物の報恩復仇(ふっきゅう)など、内容も多彩で、中国の説話の宝庫〉

(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」) 


 という評価なのだが、こうした「想定外」の出来事を見聞した当代の知識人・干宝(かんぽう)がとった行動は、〈神道(超現実的な摂理)が虚妄なものではないということを明らかにする〉ことだった。噛み砕いて言うと、神も妖怪も天変地異も、そのまんまドーンと受け止めてしまったのである。理屈付けは一切なし。外連味(けれんみ)も皆無。どんな話なのか、一篇を紹介しよう。


 〈周の宣王三十三年(前七九四年)、幽王が生まれたが、この年、馬が狐に変るという異変があった〉


 はいッ、これで終わり。これが「中国小説の祖」なの? と突っ込みたくなる究極のショート・ショートである。

 ではもうひとつ。


 〈商の紂王のとき、大きな亀に毛が生え、兎に角が生えた。これはやがて戦乱が起こるという前兆である〉


 異変は戦乱の兆し、という分析をしているものの、怪異はそのまま受け止めている。むしろ紂王はこの後、周に滅ぼされているから、「やっぱりねぇ」という受け止め方なのだ。どこかで自然(中国流に言えば天)に敵わないと思っていて、だからこそ起こった出来事をそのまま受け止める。想定なんてする必要もないのだ(この部分、干宝の作じゃないという説もあるが、干宝のスタンスがあったからこそ、こうした話も後世、『捜神記』に放り込まれたのだろう)。

 こういうスタンスを私は今、否定できない。

本を読む

『捜神記』(干宝著、竹田晃訳)
今週のカルテ
ジャンル文学
時代 ・ 舞台300年代半ばの中国(東晋)
読後に一言「あきらめ」とは違った、現実の前向きな受け止め方。こういうスタンスもあるのだと妙に納得。
効用妖怪変化のエピソードなど、それだけで読んでいて飽きません。
印象深い一節

名言
私がこの書において述べることは、ともかく神道(超現実的な摂理)が虚妄なものではないということを明らかにするに足るものであろう。(捜神記原序)
類書中国の伝奇小説111篇『唐代伝奇集(全2巻)』(東洋文庫2、16)
「捜神後記」など同時代の短編小説集『幽明録・遊仙窟他』(東洋文庫43)
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