堀口茉純のやっぱり江戸が好き!堀口茉純のやっぱり江戸が好き!

「三度の飯より江戸が好き」というお江戸ル(お江戸のアイドル!?)ほーりーこと堀口茉純さんが、江戸後期の地誌『江戸名所図会』を江戸の暮らしという視点から読み解くコーナー。江戸っ子のリアルな生活、ぜひ体感してみてください。毎月1日と15日の更新です。

富岡八幡宮第七巻 十八冊 一丁

豪快な深川っ子がつくった名所

右下に船着き場が描かれている通り、此の辺りには水路が網の目のように張り巡らされていました。さしずめお江戸のベニスといった感じ!

埋め立てによって生まれた新興の町である深川には、こぢんまりとまとまらない、豪快な深川っ子の気風を反映した名所が数多く生まれていきました。その筆頭が三十三間堂。えっ!? こんなところに三十三間堂?

そうなんです。富岡八幡の東側には、京都は蓮華王院の三十三間堂を模して造られた巨大な弓術場がありました。元々は武家の射術稽古のために作られましたが、後に町方の支配となり、お堂の縁側の端から端に弓矢を射通し、何本的にあたるかを競う"通し矢"という競技が行なわれていました。

三十三間堂はもともとは浅草合羽橋のあたりに建てられましたが元禄時代の火災で焼失。深川の地に移転しました。それも明治時代になって破却され、現在は跡形もありません。

三十三間堂とは、堂内の柱の数が33本であることに由来しています。柱は二間おきに立っていたといいますから、射場から的場までは66間(約118.8メートル)あったということですね。現代弓道では遠的でも的までの距離は60メートルが基準ですから、なかなかのガチスポーツだったといえるでしょう。門前には岡場所が立ち並び、大人に人気の場所だったようです。岡場所は寛政の改革(天明7(1787)年~寛政5(1793)年)で撤去されましたが、三十三間堂はその後も深川を代表する名所としてにぎわいました。

※この文章は「お江戸いいね!~I Like EDO」の「ほーりー 江戸を斬る!」を加筆修正したものです。

深川のいま①

江東区の富岡八幡宮の裏手を出て日本最古の鉄製の橋、八幡橋を通り、東へまっすぐ行くと三十三間堂跡モニュメントがあります。モニュメントは石柱と三十三間堂の建物のレリーフからなり、コンクリートの台座には1.8メートルの実物大の矢の絵が描かれています。明治3(1870)年、宮川町、入船町の一部、三十三間堂町が合併。三十三間堂で通し矢が行なわれていたことから、町名は深川数矢町となりました。のちに町は富岡2丁目に含まれましたが、今年で創立105周年の数矢小学校が当時の名前を残しています。

(写真・文/ジャパンナレッジ編集部)

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『江戸名所図会』とは

江戸時代を代表する地誌で、江戸名所の集大成と評される、江戸後期の"ガイドブック"。斎藤幸雄・幸孝・幸成(月岑)の親子三代が手がけた大事業で、天保5(1834)年と天保7(1836)年の二度に分け、7巻20冊が刊行。1000を数える項目には、江戸はもちろん、現在の神奈川、千葉、埼玉の名所も含まれる。絵師長谷川雪旦の742点の挿画では、神社仏閣や景勝地などの実地調査に基づいた俯瞰図や、生活風俗に関係する事柄の詳細で写実的な描写が楽しめる。歴史や風俗資料としても活用されている。

プロフィール

堀口茉純(ほりぐち・ますみ)

堀口茉純(ほりぐちますみ)

江戸にくわしすぎるタレント=お江戸ル(お江戸のアイドル!?)ほーりーとして注目を集め、執筆、イベント、講演活動にも精力的に取り組む。初めての著書の『TOKUGAWA15』(草思社)は歴史書籍としては異例のロングセラーに。近刊は『江戸名所図会』など近世の版本史料を駆使して江戸人の生活実態に迫る『江戸はスゴイ~世界一幸せな人びとの浮世ぐらし~』(PHP新書)。NHKラジオ第1『DJ日本史』、TOKYO MX『週末ハッ ピーライフ!お江戸に恋して』にレギュラー出演中。

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