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ほめる編 第3回

雨をほめる

雨を美しく表現する言葉ではなく、雨に感謝の気持ちをもっていう言葉を集めてみました。水不足になりやすい夏にこそ、こうした言葉を思い出したいものです。

  • 1(めぐ)みの(あめ)

    宗教心の薄い現代人でも渇水した地方に雨が降るとこれを使います。かつてはしばしば神仏の恩や、君主の思いやりのたとえとして用いられました。「恵雨(けいう)」ともいい、これを降らせる雲は「恵雲(けいうん)」といいます。

    師兼千首-雑「君が代に民の伏屋もうるふなりめぐみの雨や四方にあまねき」

    現代語にすると、「天皇さまの世に、民衆のボロ屋も潤っている。恵みの雨が四方にゆきわたっていて」。ここでの「恵みの雨」は天皇の思いやりのたとえとなっています。なお作者の藤原師兼(ふじわらのもろかね)は南北朝時代の南朝に仕えた人であり、歌集の成立年代から推測するに「君」は南朝の長慶(ちょうけい)天皇を指すと考えられます。

  • 2(あめ)(めぐみ)

    雨がもたらす自然の恩恵のこと。土に接する機会が少ない現代人は「雨の恵み」を意識する機会が少なく、雨が降ると文句を言う人が多いので、天気予報士も梅雨時に雨の予報を告げるときなど残念そうな声を出します。「雨露(うろ)の恵み」ともいいます。

    河東節・千年の枝「照つづくなる暑き日を、風の姿としほれしも、神の恵はおりおりの、草木に雨のめぐみぞと」

    「河東節(かとうぶし)」とは、18世紀前半に河東十寸見(かとうますみ)が創始した江戸浄瑠璃の流派。歌舞伎の市川団十郎家(成田屋)の「助六」は河東節です。舞台で口上が「河東節御連中様」と敬称をつけるのは、河東節は素人の旦那衆によって芸が受け継がれてきたことに由来します。

  • 3(あめ)(はな)の父母(ふぼ・かぞいろ)

    花卉(かき)園芸、ガーデニングを楽しんでいるなら知っておきたい言葉。謡曲の熊野(ゆや)に、「草木は雨露の恵み、養ひ得ては花の父母たり」とあるように、草木とセットで使うのがよいでしょう。

  • 4慈雨(じう)

    意味は「恵みの雨」とだいたい同じですが、「慈」の文字のおかげで、自然への敬意をより強く表わすことができます。比較的現代でも使われる頻度が高い言葉ではありますが、「ジウ」という音だけでは「冬ソナ」のヒロインを演じた女優チェ・ジウを連想する人のほうがが多いかもしれません。

    こゝろ〈夏目漱石〉下・四〇「私は何んなに彼に都合の好い返事を、その渇き切った顔の上に慈雨(ジウ)の如く注いで遣ったか分りません」

    「彼」は「私」の親友で、恋愛のために「渇き切った顔」をしているのです。しかし、「私」も同じ女性をひそかに思っており、「彼に都合の好い」言葉を雨のように降らせてあげることができません。逆に、親友を傷つけることをわざと言い、その後親友よりも先に結婚を申し込みます。そして、憔悴した親友は自殺してしまうのでした。友人の言葉は人のこころにとって「慈雨」にも根腐れのもとにもなることを、この作品から学ぶことができます。

  • 5好雨(こうう)

    好い雨、つまり、ちょうどよく降る雨のこと。「好天」は現在でもよく使われますが、こちらはまず用いられません。

    黒住教教書-文集・文政九年七月一日「今日は久しぶり好雨ふり、大に冷敷相成候」

    黒住教(19世紀前半に備前の神職、黒住宗忠が開いた神道の一派)の教祖が高弟にあててしたためた手紙からの引用。現代語にすると、「今日は久しぶりにいい雨が降って、とても涼しくなりました」。その前に暑さで苦しかったということが書いてあり、雨が降って本当に嬉しそうです。

  • 6涼雨(りょうう)

    字面そのまま、涼しさをもたらす雨のこと。あまり用いられませんが、現代人も漢字を見ただけで意味がわかるはずです。

    俳諧・蠹集「灯に傍て蚊魔睡りを喰ひけり〈虚中〉涼雨(リャウウ)心を浴(ゆあみ)してより〈千春〉」

    連句の一部。蚊のうっとうしさを詠んだ句に、涼やかな句をつけています。「心を浴してより」は、現代なら「心がシャワーを浴びたみたいだ」。ちょっとキザですね。

  • 7順雨(じゅんう)

    季節にしたがって順調に降る雨のこと。雨が降るべき季節に「今日は雨でガッカリ」などと言っている人がいたら、こういう言葉があることを教えましょう。

    大乗院寺社雑事記‐文明一九年〔1487〕六月三日「世間之満作、田地田畠之珍重は、順風順雨如堯云々」

    中世の寺院が残した記録からの用例。田も畑も作物がよく育ち、天候が安定しているのは堯の仁政のようだ、と中国の古代の聖帝の時代にたとえているのは、古代中国では天子の政治が天候に影響すると考えられていたため。そこで、日照りや大豪雨は天が政治に怒っている証拠とみなされました。日本で雨が天皇や君主の恩にたとえられるのにもその影響が見られます。

  • 8甘露(かんろ)(あめ)

    「甘露」は、不老不死の霊薬で、中国の伝説では仁政の吉兆として降るそうです。<甘露の雨>はそれが降ってくることではなく、<恵みの雨>をいいます。文章に古典の香りを漂わせたいときには、<恵みの雨>よりもカッコウがつきます。

    平治-上・信西の子息遠流に宥めらるる事「澄憲の説法には、龍神も感に乗じ、甘露の雨を降らし」

    平治の乱でライバルに殺された、藤原通憲(信西)の子息の減刑についての章からの用例。彼の一門は才人が多く、そのひとり、澄憲は説法で雨を降らせることができた、と述べられています。名僧と呼ばれる人物には、こうした超能力伝説が数多く伝えられています。

  • 9甘雨(かんう)

    <甘露の雨>を、漢字2字の熟語にしたいときに。「甘」の字が、草木が喜ぶものであることを強く印象づけます。似た言葉に、ほかに「瑞雨(ずいう)」があります。

    また、日照りが心配されるときに降る雨については、「喜雨(きう)」で喜びの気持ちをストレートに表すのもいいでしょう。雨による経済的利益を前面に出したい場合は、「黄金(こがね)の雨」を。

    霊異記-上・二五「水を施し、田を塞ぐ。甘雨時に降り、美(よ)き誉長(とこしへ)に伝ふ」

    持統天皇の時代の忠臣の逸話からの用例。この忠臣は、朝廷の命令でも農業に支障が出ると思えば反対を唱え、ひでりのときは自分の田の口を塞いで、一般の農民の田に水を施しました。さらに水に困ると、彼の徳行に感心した天が雨を降らせた、とのことです。現代の政治家は自分の田(票田)をとても大切にしているようですが、こういう先人を見習ってほしいものです。

2005-08-01 公開