古典への招待

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『霊異記』の多面的な世界

第10巻 日本霊異記より
 『日本霊異記』(以下『霊異記』と略称)は平安初期、延暦~弘仁の時代に生きた南都薬師寺の僧景戒きようかいの編した仏教説話集である。しかしこの説話集は編者景戒が単に知的に説話類を蒐集したお話集といったものではない。この説話集は一見そうは見えても、事実は景戒の人生において感動し共鳴を禁じ得なかった条々を書き記したもの、いわば景戒の赤裸々で生々しい人生観に裏づけられたもの、景戒の体臭さえ感じさせる説話集であるとして見るべきである。単に三冊の紙数を満たすために感動もなく寄せ集めたものと見てはならない。もっとももっぱら人生観を独白した書ではなく説話集であるから、複雑多面のものとして観察されるべきである。
 またこの説話集は景戒が寄り集まった聴衆に語りかける話の種を集めたものでもあったと思う。そのために聴衆を引きつけ、教導し、ませない配慮もはたらいているはずである。つまり唱導説教の種本として使用された面もあった。だからこそ一々の説話が――文章は稚拙で筆の延びていない所もあるが――彼の感動共感に裏づけられていたはずである。
 この説話集は種々の特徴をもっているが、その突出している特徴に、説話の伝承性の特異さと、景戒が呻吟してやまない時代苦の表白がある。『霊異記』のあらゆる面について詳説することは不可能であるから、仮の導入としてこの二面についてまず試論を進めたい。
『霊異記』説話の伝承性
 ペルシャの古代叙事詩『シャー・ナーメ』に怪鳥ジグルドに育てられた白髪の勇士、ザールの物語がある。『霊異記』上巻第九話はこれと関係をもつ鷲にさらわれた嬰児の説話である。これが後の東大寺良弁ろうべん僧正の「二月堂縁起」や、「大山寺縁起」(神奈川県)、中世小説の「みしま」へと連なる「昔話・鷲の育て子型」説話の日本最古の源流となっている。
 ブルフィンチの『ギリシャ神話』にキプロス島の石工ピグマリオンが、おのれが刻んだアフロディテの石像に恋し、女神に祈ると石像が動きだし、思いを遂げた神話が見える。この神話の流れが不思議にも『霊異記』の説話にも流れてきている。つまり『霊異記』には世界的な潮流の一脈が流れこんでいるのだ。
『霊異記』中巻第十三話は和泉国血渟ちぬ山寺で信濃国の優婆塞うばそくが吉祥天のしょう像に恋する。夢に吉祥天と婚合くながいするのを見て、翌日見れば像のの腰が不浄に汚れていた。この説話も人気があり、『今昔物語集』にも受け継がれる。『古本説話集』では信濃国の優婆塞は鐘つき法師となり、無事思いを遂げて吉祥天の変じた美女と共に暮すことになる。そして大金持ちとなる。しかし、その美女のいいつけた“浮気をするな”の禁を破ったため、美女が去ってしまうとみるみるうちに零落してしまったという。これは『霊異記』にさらに民話的要素が付加された形、つまり『霊異記』にはピグマリオンの神話の系統が流れ、それがまた後世の説話の祖形となった。
 ほかにも『霊異記』には上記のような伝承性に富む説話が多い。雷岡いかずちのおかの由来を語る上巻第一話は小子部栖軽ちいさこべのすがるが雷を捕らえた話。この話の類話に雄略紀七年七月の小子部蜾蠃すがる三諸丘みもろのおかの捕雷説話がある。ともに雷神を祀る祭祀からでた神話である。上巻第二話の美濃狐みののきつねあたえの由来を説く説話は、中国説話の影響も見られる異類婚姻譚である。次の上巻第三話の雷のむがしびを得て産んだ道場法師の説話は、基本は異常生誕の昔話と軌を一にして、内容も民俗的要素に富む。これらの説話は道場法師の孫娘や美濃狐の活躍する中巻第四話、第二十七話とともに道場法師系説話として奇異説話の中核をなしている。
 鷲の育て子説話、吉祥天説話、雷岡捕雷説話、美濃狐異類婚説話、道場法師説話などを景戒は「奇異の事」と述べている。その伝承はきわめて古くまでさかのぼることができるのだ。
 同じ奇異説話でも中巻第八話は趣をことにする。置染臣鯛女おきそめのおみたいめが山に入り山菜をとっていると、大きな蛇が蛙を飲んでいた。「あなたの妻になりましょう。私に免じて蛙を放してください」と頼み込む。蛇は娘の美しい顔を見つめて蛙を吐き出した。娘は「七日後に迎えにおいで」といった。七日後に蛇がやってきて、家の壁を尾でたたく。娘は恐れて生駒山寺の行基大徳ぎようぎだいとくにこのことを申し上げた。大徳は堅く戒律を守れという。帰る道すがら画問邇麻呂えどいのにまろという老人が大きな蟹をもっているのに会った。彼が他に蟹を売り渡すという先約があるというのに、娘は衣と裳を脱いで蟹を買った。行基を招いて呪文を唱え願をかけた上で蟹を放った。八日目の夜、蛇が屋根の上から草を抜いて入ってくるが、一匹の大きな蟹が蛇をずたずたに切っていた。
 同様の説話は中巻第十二話で、山城国やましろのくに紀伊郡きのこおりの一人の女を主人公として語られている。牧牛の村童が焼いて食おうとする蟹八匹を衣を脱いで買い、禅師を招いて呪願してから放生し、蛇の難から救われたという。同郡深長ふかおさ寺の行基大徳の教えを仰ぐのも同様である。
 この二つの説話が冒頭にあげた説話群と大きく異なるのは、こちらの方は仏教的色彩の濃いことである。先の第八話は奇異事とするが、報恩は戒の力によることを力説し、老人を聖者の化したものかと疑っている。このような隠身の聖者は『霊異記』の大きな特色の一つでもある。第十二話では三宝につかえ奉ることを強調し、報恩を強調し、山城国の放生の始めと述べる。ともに『霊異記』編者の景戒が尊敬し共感している行基を主人公の一人としている。この説話は相楽郡そうらくぐん蟹満寺かにまんじ縁起となり、仏教説話として近世まで伝承された。
 仏教的装いにもかかわらずこの二つの説話は、「昔話・蟹報恩型」説話に属する内容をもつ。ともに伝承は古くまで遡ることができる。『霊異記』の一つの特色は伝承性であり、それが一種の興味を添える。
『霊異記』に見える時代苦
『霊異記』の説話は、編者景戒の感動に裏づけられつつ、描写は具体的、具象的なものである。そのため当時の世相が如実に描き出されている。例えば上掲の鷲の育て子説話にも当時の農民の生活が写し出されている。吉祥天説話にも優婆塞が寺をもち、弟子をもつという当時の世相が描かれている。
 ところでこの説話集は、『日本国現報善悪霊異記』の題名からもわかるように、景戒は善行の善因を作れば現世での現報があり、悪行の悪因を作れば現世で悪報が起きると述べることによって、人々を仏法に誘おうとしたに違いない。その景戒の意図は上巻序文によく表されている。
「善い種をまけば善い結果を得、悪い種をまけば悪い結果が現れる実例を示さなければ、何を基準としてまちがった考えを直し、行いのよしあしを決めることができよう。……昔、中国では、唐の時代に『冥報記みようほうき』や『般若験記はんにやげんき』が作られ、仏教の因果応報の教えが日本にも伝えられた。だが、どうして他国の伝えばかりを恐れつつしんで、身近な自国の不思議な出来事を信じ恐ろしがらないということでよかろうか。……そういうわけで少しばかり耳にしたことを書きつけ、『日本国現報善悪霊異記』と名づけた」。
『霊異記』には仏法意識と奇譚意識が明白に読みとれる。奇譚意識が宗教性の薄い話まで記録させたに違いあるまい。ともかくこのようにして集めた説話を景戒は上巻第一話の雄略天皇の時代から時代順にならべた。
 景戒は現報譚を数多く集めた。それらの説話は多くが同一のテーマを持つ。たとえば僧侶迫害説話である(上巻第十五話他)。特に中巻第一話の長屋親王ながやのおおきみの説話は正史以外の記事として資料性が高い。法華の行者を迫害した説話(上巻第十九話他)や、仏像を斬り捨てた下巻第二十九話も同一テーマとしてよい。
 他にも仏像の霊験譚(上巻第六話他)、経典の霊験譚(上巻第八話他)、蘇生譚(上巻第三十話他)、放生譚(上巻第七話他)、化牛譚(上巻序文・第十話他)、現世業火譚(上巻第十一話他)、貧女得幸譚(中巻第十四話他)などがある。(詳しくは巻末の関係説話表を参照されたい)
 同一テーマの説話を数多く集めたのはけっして空疎な重複ではない。かえって編者景戒の宗教的熱意のほとばしりと見るべきものである。『日本往生極楽記』や『今昔物語集』巻十五を始めとする往生伝類にも同一の宗教的熱意が認められる。ただし後世の往生伝類よりも景戒の場合は漢文体であるにかかわらずいずれも描写は具体的であり、表現が画一的でなく、単調さを救っている。
『霊異記』には、悪因の報いとして悪報が起こるという悪報説話も繰り返し述べられているが、悪報説話には説話に付随して景戒の時代、奈良~平安初期の人生と実生活の苦しみが強くにじみでている。これは景戒が強くもっている、世は末法に入ったという末法意識にも関わる問題であろう。そして『霊異記』の描写が具体的であればあるだけ、当時の人々の苦しみが我々に伝わってくる。それが『霊異記』の魅力である。
 武蔵国多磨た まのこおり鴨の里の人、吉志火麻呂き しのひ ま ろは筑紫に防人さきもりにとられ、母を伴って出かける。三年たって妻のいとしさにたえかねて、母を殺しその喪によって兵役を逃れようとする。仏敵の提婆達多だいば だつたにも似た、地が裂けて墜落死するという火麻呂の最期(中巻第三話)は、広く唱導に好まれたと想像される。この説話は安居院流あぐいりゆうにとりあげられ、『曾我物語』にまで吉志飯丸きしのいいまろの名が見える。
 このような兵役に取られる苦しみ(上巻第十七話他)、それから雑徭ぞうようの苦しみ(下巻第十四話)、出挙すいこの苦しみ(下巻第二十二話他)など時代の苦しみがいきいきと描かれている。貧女得幸譚も、なぜ零落したかという背景に時代の苦しみを感じざるを得ない。それが今日でも読者をひきつける。
 その時代苦のもっとも端的に描かれているのが、下巻第三十八話後半の景戒その人の自伝である。
 三十八話の題は「災難と吉事との前兆がまず現れて、後にその災難と吉事との結果を受けた話」と題している。前半では聖武天皇時代の藤原仲麻呂の乱や、孝謙天皇時代の道鏡の乱の前兆として、童謡わざうたの流行したことをあげている。後半では景戒自身の前兆としての夢や異変を言う。
 山上憶良の「貧窮問答歌」(『万葉集』巻第五・八九二)にも比せられているのが、延暦六年九月四日の一節である。苦痛の多い時代を生き抜いていく作者景戒の姿が表されている。景戒は記す。
「ああ恥ずかしいことよ、面目ないことよ。この世に生れて生活しながらも、生き長らえる手だてもない。因果応報の原理のままに、愛欲の網にかかり、迷いの心にひかれて、生死の道をたどり、生活のために四方八方に奔走して、生きたこの身を焼き苦しめている。僧となっても俗生活を営み、妻子を持ちながらも、養うにも物がなく、野菜もなく、塩もない。衣もなければ薪もない。四六時中ないもの尽しで、思い悩み、わたしの心は安らかではない。昼も飢えこごえ、夜もまた飢えこごえる。わたしは前の世で物を与え施す善行を積まなかった。そのため、こんなにも乏しい生活をしているのだ。いやしいことよ、わが心は。さもしいことよ、わが行いは」。「貧窮問答歌」のように寒さを凌ぐために堅塩かたしおをなめてみるわけにもいかない。
 憶良の歌にも無常感が満ち満ちているが、景戒の叫びも悲痛である。これが文学的虚構であるとは読みとれない。それほど『霊異記』の告白が人に迫ってくる思いがする。
 本説話の末尾では、景戒は延暦十四年に伝灯住位(僧位の第四番目)を得ている。十六年には私的に造った堂に狐が入り込んでいる。また十九年には景戒の馬二頭が死んでいる。
 僧位は買官であろうし、景戒は私的に堂を造る財力もあれば、運搬用として貴重な馬を少なくとも二頭以上は所有していた。それでもここには平安初期の人々の時代苦の悲痛な叫びがある。『霊異記』は単なる因果応報を説く書ではない。一流の文学たらしめている感動がそこに伏在しているのを読みとってほしい。
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