西陣京極は、着物や帯、天鵞絨(びろーど)、ネクタイなどの織物づくりの拠点として、技術、生産量ともに国内有数の存在だった西陣(上京区)で、1900年代初頭から1950年代ごろまで栄えた歓楽街。寄席や芝居小屋、映画館などが集中したところで、その中心は、もとの芝居小屋から映画館になった千本座だ。千本座は日本映画の父といわれる牧野省三が、1901(明治34)年に芝居小屋を買収し、1908年(明治41)から同館に出演する俳優を起用し、初の時代劇を製作したため、日本の劇映画発祥の地としても知られる。

 一周800メートルほどの狭い区域で、西の端が千本通で、東は浄福寺通。北は一条通、南は中立売(なかだちうり)通に囲まれている。近くには花街の上七軒があり、また、水上勉の小説『五番町夕霧楼』で有名な赤線区域・五番町などの盛り場があった。さらにその周辺には繁華街を埋め尽くすように、図案、糸染め、縦糸・横糸の準備、織りなどの工程を担う分業の職人が暮らす、職住一体の町家や職人長屋が連なっていた。

 西陣京極をはじめとする西陣界隈の賑わいは、1950年ごろがピークだったといわれている。当時の機屋の職人は毎月1日と15日が休日で、この2日間は黒山となって人々が町に繰り出した。特に休日前夜の西陣京極周辺や、職人長屋の密集地に近い五辻通の近くなどは、お祭りでもしているかのように露天商が通りに屋台を連ねていたそうである。さまざまな飲食やお菓子、生活用品、古本などと、いろいろな種類の屋台が出ていた。近年の西陣京極は赤ちょうちんや小料理屋が営まれている一角で、昔の名残は成人映画館ぐらい。それでも「ろーじ(路地)」に一歩入れば、昔の賑やかだった当時を彷彿させる、豪壮な織物問屋、遊郭とおぼしき古い豪奢な建物、職人が暮らした寂れた長屋に「どんつき(突き当たり)」と、昭和の遺構が数知れず残されている。


数年前の西陣京極。最近は今時の居酒屋がずいぶん増えたので、以前の赤提灯が並ぶ飲み屋街という雰囲気は薄れてきた。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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