父に小泉純一郎元総理をもつ自民党衆議院議員(3期)。兄は俳優の小泉孝太郎。2004年に関東学院大学経済学部を卒業後、アメリカのコロンビア大学大学院に留学。2006年に政治学修士号を取得した後、戦略国際問題研究所非常勤研究員に。2007年に帰国。父・純一郎の私設秘書を務め、父が引退した後を受けて出馬、当選する。安倍晋三と石破茂が総裁を争ったときは石破を支持した。33歳。

 2014年年末の総選挙で自民党が大勝したため、小党分裂の野党には期待できないためか、小泉進次郎に期待する声しきりである。

 『週刊現代』(12/27号)は「安倍『小泉進次郎が邪魔だな』」という特集を組み、『週刊文春』(12/25号、以下、『文春』)が「小泉進次郎が泣いた! 安倍・石破との危険なトライアングル」、『週刊ポスト』(1/1・9号、以下『ポスト』)が「『安倍の終わり』がはっきり見えた“爆弾低気圧”小泉進次郎の大渦」と、安倍首相の対抗馬は小泉しかいないというモテようである。

 まずは『ポスト』から見てみよう。同誌は自民党が勝利はしたが、それは多くが棄権したからで、支持した数はわずかだと難じている。

 「自民党の小選挙区の総得票は約2546万票だったが、選挙協力した公明党の基礎票(比例代表の731万票)を差し引くと1815万票にとどまる。自民党の比例の得票(1766万票)とほぼ一致し、これが本当の『自民党票』と見ていい。
全有権者のわずか18%だ」

 沈黙した多くの有権者は安倍政権のやり方をじっと見ている。そしてこれ以上安倍首相が勝手放題やるなら、小泉進次郎が反安倍を掲げて党内で動き出すというのだ。

 総選挙後も「消費税を上げる2年半後までに経済を立て直さなければすべて自民党の責任。それを考えれば笑っている場合ではない」と苦言を呈している。

 選挙中も安倍首相に対して厳しい発言を多くしている。

 「アベノミクスの先を考えなければいけない。人口減でも活力と豊かさを引き継げる国づくりには、どの国もやったことがない成長モデルが必要だ。社会保障も若者にツケを残さないようにしなくてはならない」

 アベノミクスなどはじめから「幻想」だと『ポスト』は切って捨てる。

 震災復興担当政務官の進次郎は『中央公論』14年7月号でこう語っている。

 「戦後と『災後』の最大の違いは、人口増加・経済成長を前提にできるか否か。それができない中で日本がこれからも繁栄を築いていこうとしたら、国全体のモデルチェンジが避けられません」

 かつての成功体験を前提とするアベノミクスでは日本は立て直せない。そう『ポスト』は読む。

 民主党は海江田代表が落選し、1月に代表選挙が行なわれる。もしここで細野豪志(ごうし)が勝てば、「進次郎対細野」という次の世代の対立軸ができ、旧世代である安倍の政治は終わるというのだ。

 そうことが簡単に進むとは思わないが、進次郎への期待が大きいことはわかる。だが、まだ33歳。あと10年は雑巾がけが必要ではないのか。

 『文春』で進次郎の追っかけ記者・常井健一が、進次郎のこんな地元での演説を記している。

 「五年間の議員生活の中で、私に決定的に足りないのは余裕とゆとりです。余裕綽々だった日は一度として、ない。よくここまで耐えた、なんとかやってきたというのが率直な本音なんです。勉強不足な面もまだまだあるし、経験不足だし、駆け出しの三十三歳だし、人生経験が足りない」

 本人はそのことをよくわかっている。そこがほかの七光り議員と違うところである。またこうも言っている。

 「これからまた私に対して批判が吹き荒れることがあるでしょう。全国行っても多くの皆さんが温かく歓迎してくれる、メディアも好意的に報道することを、妙に冷めて見ています。褒めた後は粗探しが始まり、叩き落とされるものだから」

 安倍首相の周辺では進次郎に対する冷たい空気が漂うという。

 「どうせ石破(茂)さんの子分でしょ。安倍さんのことは嫌いだと思うよ」(安倍首相の側近)

 それに父・純一郎は脱原発派。真っ向から安倍の原発政策を批判している。

 こうした厳しい環境が進次郎の人間性を磨いていくとしたら、10年後には天下取りをしているかもしれない。

 私が親しくお付き合いをした河野洋平元衆議院議長が田川誠一、西岡武夫、山口敏夫、小林正巳(まさみ)、有田一寿(かずひさ)らと自民党を離党、新自由クラブを結成して党首に就任したのが1976年。河野39歳の時だった。

 進次郎は江戸中期の歌舞伎役者である中村仲蔵(なかぞう)をロールモデルとするそうだ。梨園の外から入り、先輩たちに疎まれるが、不屈の精神で芸を磨き研鑽を重ね、端役から人気役者にのし上がった大名跡で、落語にもなっている。

 若いにしては渋い好みだが、そこがこの男のいいところであろう。安倍首相の危険なやり方をチェックできるのは、アメリカか天皇、それに小泉進次郎しかいないのかもしれない。

   安倍首相が暴走すればするほど小泉進次郎に期待が集まる。彼が常日頃「昔、末は博士か大臣かと言われていた。そういう政治家になりたい」と言っている。彼にはその素質があることは間違いない。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 年末合併号の季節。なかでも『週刊現代』の高倉健との300日はなかなか読ませる。コタツに入ってミカンでも食べながら読むにはもってこいである。

第1位 「女優・児島美ゆきが初告白『高倉健さんと暮らした300日』」(『週刊現代』1/3・10号)
第2位 「ビートたけしの『2014ヒンシュク大賞』決定!」(『週刊ポスト』1/1・9号)
第3位 「2014『安倍総理の晩餐』名店&迷店ガイド」(『週刊新潮』12/25号)

 第3位。安倍首相は毎晩美食に明け暮れていると『新潮』が皮肉っている。
 安倍首相の好物は焼肉らしいが、人と会うときはそれなりの店を選ぶらしい。平河町にある「下関春帆楼(しものせきしゅんぱんろう)」では毎日新聞社の朝比奈豊社長や共同通信社の福山正喜社長と卓を囲んでいる。夜のコースは8000円から。これは安倍の政治資金管理団体「普和会」の報告書から見つけ出したそうだが、払いは安倍首相?
 芝浦にある「牡丹」は新鮮な魚を出す老舗だそうだが、「それほど美味しい料理を出せるはずがありません。総理が行くような店ではないと思いますね」(料理評論家の友里征耶(ともさと・ゆうや)氏)と手厳しい指摘もある。
 銀座の中華料理店「飛雁閣(ひがんかく)」は川崎隆生西日本新聞社長と食事をしているが、ここは絶品だが、干し鮑のステーキが含まれる最上級のフルコースが12万円だという。
 安倍首相と麻生財務相が行ったのが帝国ホテル内にあるフレンチ「レ セゾン」。芝公園の「クレッセント」へも行くらしい。
 このところイタリアンもよく使う。赤坂の「パスタテーブル イルカシータ」はカジュアルな店だが、政治家が使う店としてはどうかという評価がある。
 「キャンティ飯倉片町本店」でも政治家たちと会食している。古くからあるイタリアン風洋食屋だが、夜のコースは1万3500円からだ。
 浅草の鳥料理専門店「野鳥 鷹匠 壽」と銀座のステーキ「かわむら」は最上の店といわれるそうだが、ステーキ屋のほうは一人5万円以上だというから庶民の行ける店ではない。
 本当は安倍さんは焼肉やラーメンが好きだそうだが、なかなかそうもいかないようだ。このメニューを見る限り持病の悪化はないようだが、この病はストレスがたまると再発するらしい。来年も美食三昧できるか、入院して流動食になるかはアベノミクス如何にかかっている。私は流動食のほうになると思うのだが。

 第2位。『ポスト』恒例たけしの「ヒンシュク大賞」。今年もSTAP細胞や佐村河内守(さむらごうち・まもる)騒動、号泣県議など、ヒンシュクには事欠かない。
 まずは『文春』に49歳女性と不倫、100億円払って離婚かと書かれたたけしの自虐ネタからと思ったら、編集部側がパス。やはりまずいと思ったのであろう。
 他人になりすまして脅迫メールを送った「パソコン遠隔操作事件」の片山祐輔被告については、

 「たいした知能犯かと思いきや、やっぱりあの顔じゃムリだったな(笑い)。最後にマヌケがバレちゃったよ。捜査員に見張られてることぐらい、小学生だってわかるだろって」

 号泣野々村竜太郎元県議には、

 「大泣き会見は今見ても笑っちゃう。芸人を超えたね。最近の若手は凝った笑いを狙うヤツが多いけど、こういうわかりやすい笑いが実は一番強いんだよ」

 大韓航空機の会長令嬢が、ファーストクラスなのにナッツが袋のまま出されたことに激怒して出発を遅らせた問題については、

 「この事件、『ナッツ・リターン』って呼ばれてるんだろ? オイラの映画『キッズ・リターン』の丸パクリじゃないか。使用料払えっての」

 「現代のベートーベン」佐村河内騒動については、

 「“今度は自分で書きました”って新曲でも出したら話題になるのに。交響曲『HIROSHIMA』ならぬ『YOKOSHIMA』なんちゃってさ。儲かるぞ~」

 錦織圭(にしこり・けい)の大活躍で、それにあやかって売れっ子の松岡修造が出した日めくりカレンダー「まいにち、修造!」については、

 「それならオイラも出してやろうか。『芸人格言カレンダー』なんちゃってさ。“オネエチャンと遊んだっていいじゃない、スケベだもの たけし”“家にカネ入れなくてもいいじゃない、芸人だもの たけし”とか」

 最後に登場したSTAP細胞の小保方(おぼかた)晴子については、

 「真打ち登場か。だけど、佐村河内や野々村と違って、なんだかこの人のこと笑いにくくなっちゃったんだよな~。実際に人生狂わされちゃった人もいるしね。あの“STAP細胞はありま~す!”って会見の時のこのオネエチャンの目を見てると、なんだか“新興宗教にハマった人”みたいに思えてくるんだよな」

 そして栄えある2014年のグランプリは佐村河内と野々村の両巨匠に決定!

 「この2人はヒンシュク界の風神・雷神、ウソつき界の竜虎と呼ぶにふさわしいよ。2人のコンビで来年の『THE MANZAI』に出てきてくれないかな~。文句なしの優勝候補だぞ」

 昔「顰蹙(ひんしゅく)は買ってでも云々」というキャッチで文庫を売り出した出版社があった。あそこだな『殉愛』を出したのは。これって来年のヒンシュク大賞候補?

第1位。女優・児島美ゆきが高倉健とつきあっていた日々を告白している『現代』を、MAISON TROISGROS(メゾン トロワグロ)のインスタントコーヒーを飲みながら読み始めた。

 「男女の仲になったデートの日の別れ際、彼が、
 『これからは僕のことを剛(ごう)ちゃんと呼んでください。本名は小田剛一ですから』
 と言ったんです。二人の距離を縮めたかったのか、それとも『俳優・高倉健』ではなく、一人の男として私と付き合いたかったのか、それはわかりません」

 とうとう出てきたという気持ちと、なぜ児島なんだという気持ちがない交ぜになる。健さんだったら大原麗子か吉永小百合との「忍ぶ恋」が似合うのに……。
 そういえば歌手の石野真子を熱心に口説き落としたと書いた週刊誌もあった。女性の好みは人それぞれ。健さんはこういうタイプが好きなのかもしれない。
 当時、健さん52歳、児島31歳。児島がテレビドラマ『北の国から』で富良野のスナックのホステスを演じたのを健さんが見て、田中邦衛(くにえ)を介して「会いたい」と伝えてきたという。
 日に何度も電話があり、「うちにコーヒーを飲みに来ませんか」と誘われ、彼のマンションへ行く。結ばれたのは2度目に訪れたとき。

 「寝室の、大きなダブルベッドで。彼は体は筋骨隆々でしたが、やさしい人でした」(児島)

 彼女は彼のためにステーキや生姜焼き、肉じゃがなどをつくる。黙々と食べる健さん。終わるといつの間にか食器を洗ってくれていた。

 「とにかく、時間のあるときには、映画を観るか(マンションに小さな映写室があった=筆者注)、腹筋や腕立て伏せをしているか、あとは洋服の整理(笑)。セーターを畳んだり、シャツなどを並べたり、整理整頓が趣味のような人でした」(同)

 健さんは警察無線や消防無線を聞くのが好きだったという。児島が茶目っ気たっぷりにヌードダンサーの真似をすると、顔をほころばせ手を叩いて子どもみたいに喜んだそうだ。
 「ある日、彼に膝枕をしてあげたら、彼はふいに、
 『幸せだなぁ。こんなに幸せでいいのかなぁ……』
 驚いて彼の顔を見ると、目に涙まで浮かべていたんです。膝枕ぐらいで泣くなんて、と驚くと同時に、
 『普通の幸せを、こんなに恋しいほど求めている人なんだ』
 と、私まで切なくなって……」(同)

 スーパーへ一緒に行って、児島が買い物袋を抱えてクルマまで戻ってくると、こう言ったそうだ。

 「剛ちゃんはこういうことがしたかったんだ」

 それほどまでに彼の生活は孤独でストイックだったと児島は話している。
 そんな生活が300日続いた。だが二人のことが芸能誌で報じられ、健さんから「しばらく会えない」と言われ、世間体が大事で私を捨てたと怒った児島は彼の許から去る。そして30年が経ち、「あなたの気持ちをわかってあげられなかった」という詫び状を送った直後、高倉健の悲報が届く。

 児島は「人間・小田剛一も、本当に優しく、温かい人だったことを知ってほしい。面白くて気取らず、人間くさい、愛すべき人でした」と語る。

 こうした健さんとの思い出をもつ女性はほかにもいるはずだから、名乗り出てほしい。人間・高倉健をもっともっと知りたくなってきた。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   


元木昌彦(もとき・まさひこ)
金曜日「読んだ気になる!週刊誌」担当。1945年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社に入社。『FRIDAY』『週刊現代』の編集長をつとめる。「サイゾー」「J-CASTニュース」「週刊金曜日」で連載記事を執筆、また上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで「編集学」の講師もつとめている。2013年6月、「eBook Japan」で元木昌彦責任編集『e-ノンフィクション文庫』を創刊。著書に『週刊誌は死なず』(朝日新書)など。
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