雛壇に飾る雛人形の一種。女官は大腰袴(おおこしばかま)に襷(たすき)掛けの装束姿で、愛らしい狆を結わえた紐を曳いている。愛らしい狆もよいが、雛人形としては珍しく動きのある女官の様子がまた楽しい。今日的な雛人形にみられる十五人揃いの形式は、江戸末期から徐々に完成されたものであり、明治中期から昭和初期の間につくられた雛人形には、めでたい持ち物を携えた三人官女に加え、四人目の狆曳き女官を添えたものが好まれていた。

 実は狆には、雛人形に加わっても何ら不思議のない理由がある。まず、狆は長い間、日本の上流階級で抱き犬(座敷犬)としてかわいがられてきた日本原産の犬種である。その源流は古代朝鮮に遡り、明治天皇は「六号」という名の狆をかわいがっていたことが知られている。まして内裏雛とは、天皇と皇后の男女の姿に似せてつくられたものだ。とすれば、明治期以降につくられた雛人形で、家族が子や孫の健やかな成長を願いながら、初節句を華やかに盛り上げる人形の一つに狆曳き女官を選び取ることは当然ともいえよう。現代でも犬好きであれば、護衛の随身(ずいじん)や五人囃子に代えて、狆曳き女官を加えたいという希望もあるはずだ。狆曳き女官がいつしか雛壇から消えてしまった理由は、毛植人形の狆をつくるために不可欠な毛植えの職人が、戦後に途絶えてしまった(中京区の丸平(まるへい)文庫ホームページより)から、というのは惜しまれてならない。

 ところで、雛人形の関西と関東の最大の違いをご存じだろうか。徐々に薄れつつある慣習ではあるけれど、関西は最上段に御殿が置かれ、その中に内裏雛を収める公家好み。関東は御殿の代わりに屏風を立て、その正面に内裏雛を飾りつける武家好みの形式である。

 

   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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