つなぎ団子とは、餅粉(もちこ)を練って丸めたものなどを細い串に通し、つなぎ合わせるようにした団子のことをいう。御手洗(みたらし)団子や花見団子、茶団子などの串団子がおなじみである。京都の名所で梅、桃、椿、山吹、桜、ツツジといった花々が続々と咲き誇る春は、縁起物の紅と白、厄除けの緑の三色を串に通した花見団子が店先を賑やかす。花見団子と一口にいっても、餅粉製ばかりではなく、白餡を三色に色づけしたもの、大豆粉を水飴などで練った州浜(すはま)のもの、つなぎ団子に見立てた干菓子などの種類がある。串の通し方は下側に二つ、少し間を開けてうえに一つというさし方がいかにも京都らしい。

 花見団子の発祥は詳しくわかっていない。1598(慶長3)年に豊臣秀吉が醍醐(伏見区)で開いた花見で、さまざまな菓子が振る舞われたとされ、これが花と菓子を一緒に楽しむようになったはじまりだと伝えられている。つなぎ団子と豊臣秀吉といえば、興味深い逸話が残されている。醍醐の花見の12年前。1587(天正15)年に秀吉が催した北野大茶会では、上七軒(上京区)の茶屋が御手洗団子を献上した。この縁から花街・上七軒の紋章は、串に通した団子が五つ並んだ「五つ団子」になった。一方、花街・祇園の紋章といえば、串に八つの団子を通した「つなぎ団子」が紋章である。1851(嘉永4)年に遊所御免の御沙汰があり、紋章はこのとき、組内の八つの町が一致結束するという意味から、八つの「つなぎ団子」を丸くつなぎ、円の中央に「祇」の文字を配したという。その後、祇園の花街は、明治期に「祇園甲部」と「祇園東」に分離しているので、現在、祇園甲部は「つなぎ団子」の中央に「甲」、祇園東は「つなぎ団子」の円だけを残した無地を使っている。


春恒例の都をどりの時期になると、祇園のお茶屋の軒の提灯は、つなぎ団子に「都をどり」のものになる。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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