花街・島原(下京区)の郭内で、太夫(たゆう)のことを「こったいさん」と呼ぶ。島原は豊臣秀吉が天正年間に許した日本初の花街である。この通り名の来歴も1600年前後まで遡る。当時、名高い芸妓が能狂言に夢中になって凝りすぎた。要するに「凝った」から「こったいさん」と呼ばれるようになったというわけだ。このほかに、江戸・吉原の花魁に対し、「こち(島原)の太夫さん」が縮まったものなど、語源については諸説ある。

 文楽や浄瑠璃などでも使われている「太夫」とは、芸能の最上位を表す称号である。律令制で天皇に謁見が許される正五位の身分にあり、世が世なら城持ち大名と同じ身分ということになる。芸妓の場合は唄や踊り、鳴り物などのすべてに多芸で格式が高く、抜群の教養まで備えていることを意味している。現代では不思議に思うかもしれないが、島原とは、公家や大名をもてなしてきた別格の遊女がいる場所であり、宮遊びの相手をできるだけの高い教養や技芸が遊女に求められていた。その郭内で最上位にある太夫が、いかに特別な存在であったかは想像に難くないだろう。

 かつて4月21日には、島原太夫道中が盛大に行なわれていた。太夫は脇に仕えの少女・禿(かむろ)や世話役の引舟(ひきふね)を従え、金色の打ち掛け姿でお歯黒をし、黒塗り三本歯の下駄で内八文字に弧を描くように歩いた。現在は江戸前期の島原を代表する名妓の遺徳を偲ぶ法要、吉野太夫花供養(4月中旬、常照寺)や夕霧祭(嵯峨生まれの夕霧太夫を偲ぶ。11月中旬、清涼寺)に合わせ、舞や道中が披露されている。なお、江戸・吉原の花魁道中の歩き方は外八文字であり、島原の習わしをもとに、吉原流として取り入れられたものが数多くある。


明治25年に出版された「色情克己女郎買の用心 増山守正編」の「島原太夫の道中」に掲載されている絵図。(国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」より)


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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