家具小売大手・ニトリHDの創業者で現社長。1944年樺太生まれ。戦後は北海道・札幌市で育つ。71歳。

 23歳の時「似鳥家具店」を創業。「お、ねだん以上、ニトリ」のCMで知られるように値段に比してオシャレな家具を販売することで業績を伸ばし、2012年には300店舗を出店し、売上高3400億円を達成して、家具業界の“ユニクロ”といわれている。

 社のHPには「第2期30年計画(2003~2032年)」として、2022年には1000店舗、売上高1兆円、2032年には3000店舗、売上高3兆円を目指すと書かれている。

 同じHPによれば、家具はインドネシアとベトナムで製造されている。

 このニトリ社長が4月1日から日経新聞の名物連載『私の履歴書』に登場して、これまでの人生を語っているのだが、壮絶なエピソードばかりで「おもしろすぎる」と評判に評判を呼んでいるのだ。

 『週刊現代』(4/25号、以下『現代』)では特集を組み、これまで話した内容は本当か? と、本人にインタビューしている。エピソードは以下のようなものである。

 「貧乏な家庭に育ち、『もっと食べたい』と言えば味噌汁を体にかけられ、殴られた」「家業のヤミ米配達中に同級生に出くわし、創成川に落とされ死にかけた」「憧れの北海学園大学に編入するため、友人と結託してカンニングで乗り切ろうとした」「学生時代のアルバイトでは、極道を演じて借金の取り立て屋をしていた」「社会人になってから入社した父親の会社では盲腸を患ったにもかかわらず仕事を強制され、たまりかねて家出した」

 そのほかにも「小学生の頃、自分の苗字が書けず、いつもひらがなで書いていた」「通知表は1か2しかなかったが、母親には一番成績がいいのは1だと言って、息子を優等生だと信じ込ませた」「配達中のヤミ米を川に落としても、必ず拾ってくるよう言いつけられ、どろどろのご飯を食べさせられた」などなど、NHKの連続ドラマ『おしん』も真っ青の極貧少年、青年時代を送ったと告白しているのである。

 『現代』のインタビューに、『私の履歴書』に書いてあることはすべて事実だとして、両親の厳しさについてこう話している。

 「物心ついた頃から、おふくろにはしごかれました。ウチのおふくろは今年で96歳になるんですが、今でも元気でね。幼い頃から、日々鉄拳で気合いを入れられていました。父親からも、月に一度は気絶するくらい殴られていた」

 樺太から47年に北海道へ引き上げてきたが、育った環境は「100棟ほどの長屋が集まる引き揚げ者住宅でした。(中略)長屋の床にはなにも敷かれておらず、むきだしの土だった。トイレ、炊事場は共同で、掘っ立て小屋のような場所でした」

 そのうえ当時は食糧難だったから、白米だけの「銀シャリ」など食べられず、稗(ひえ)や粟(あわ)に麦を混ぜ、サンマ一匹をみんなで分け合って食べたという。

 子どもの頃に壮絶ないじめを受けたと語っているが、同級生たちの証言では、「当時は彼がいじめられているイメージはありませんでした。むしろひょうきん者で、口げんかをしても根に持つような奴じゃなかったよ」と、むしろムードメーカーとして一風変わった生徒だったという声が多いようだ。

 大学時代は居酒屋を回って債権回収のアルバイトをしていたことについてはこう話す。

 「当時、高倉健や菅原文太の任侠映画が流行っていたので、それを真似て取り立てをしていました。実入りの良い商売で、友人と一緒に『不良債権ないですか』と居酒屋を回る日々でした。ですが、回収先の中にはスジの悪い人もいて、危険な思いもたくさんした。ナイフで切られたこともありましたよ」

 さらにビリヤードやスマートボールでも稼いでいたという。

 「ビリヤードも得意で、一般人相手にわざと負けておいて、掛け金が上がったところで勝ちをかっさらうこともあった。
 他にもスマートボールで稼ぎすぎて、店から出入り禁止を食らったことも。スマートボールで勝つ秘訣? 台を持ち上げて、強引に球を入れる」

 大学を卒業後、父親の会社に入ったがそこを辞めて広告会社に入社。その後23歳で「似鳥家具店」を立ち上げたが創業当時から波乱の連続だった。

 「開業当初、売り上げは月40万円だった。なんとか2店舗目を出しても、近所に5倍ほどの大きさの家具店が建ってお客さんを取られてしまったり。これまで、倒産の危機を何度も経験していますよ」

 転機になったのは、家具業界向けのセミナーに参加してアメリカ・ロサンゼルスを訪問してからだという。

 「そこで、日本とアメリカの差を目の当たりにした。当時、アメリカのチェーンストアで売っていたものは衣・食・住すべてが日本の3分の1の価格で販売されていました。しかもあらゆるものが、色やスタイルでコーディネイトされていた。それを見て、『日本は貧しい国なんだ。日本人の生活を豊かにしなきゃいけない』と痛感したんです」

 「いいものを安く」というモットーがこれによって確立され、以来、ニトリの快進撃が始まった。

 だが、肩を寄せ合うようにして生きてきたはずの母親みつ子さん、弟、妹から、07年に遺産相続に疑問があると訴えられている。

 89年に父親が死んだ際、みつ子さんが不動産を、弟、妹ら3人は現金1000万円ずつ相続したが、父親が所有していたニトリ株9万2500株と関連株(当時の株数)を、昭雄氏が相続した。

 母親は「遺産のことは昭雄に任せておけば、弟と妹にも財産を分けると思っていたのに、昭雄が遺産を独り占めし、弟や妹のことが心配だ。幹雄(弟=筆者注)には昭雄から株を分け与えてもらい、経営に参画してもらいたかった」(『週刊東洋経済』2012年6/30号より)という気持ちから訴えたそうだが、4年にわたる骨肉の争いは昭雄氏側の「全面勝訴」だった。

 大塚家具の父と娘の争いを見ても、一族経営の難しさがよくわかるが、そうしたことを恐れてではないだろうが、非情に身内を切り捨ててニトリを100%自分のものにしたことで、今日のニトリの躍進があるのであろう。

 貧しかった半生を振り返り、こう語っている。

 「このような人生を送ってきたことで、徹底的な合理主義になった。自分自身が一生懸命働かなければ、成功を手にすることは絶対にできないということが骨身に沁みています。(中略)
 商売をはじめた頃も自家用車を買う際には、動きさえすればいいと中古の軽トラックを使っていました。今は頑丈だから、という理由で、センチュリーに乗っていますが(笑)。
 私がそんな性格だからか、ウチの娘も小学校の作文で好きな言葉を書けと言われて『拾う、もらう、タダ』と書いていた。ウチの家訓なんです(笑)」

 こうした超ワンマン経営者が悩み躓くのは後継についてである。彼と共通する部分を持つ私たち世代には、彼の生き方ややり方が理解できるが、若い世代には歴史の彼方のことであろう。そこをどうやって次の世代に引き継ぎ、28期連続増収増益を成し遂げたニトリをさらに発展させていくのか、注目したい。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 今週は、選んだ3本に共通項はない。今週書いたニトリよりも遥かに大きいあのシャープが経営破綻寸前だというのだから、驚かざるを得ない。われらツィギー世代は、モデルといえば小枝のように痩せた女性だと思っているのだが、本場のおフランスではそうではないようだ。最後にはやはり元中学校校長の度外れた少女買春のお話と、今週も週刊誌はおもしろい!

第1位 「フィリピン買春1万2千6百人の変態校長」(『週刊文春』4/23号)/「欲望を完全解放した『元中学校校長』絶倫熱帯夜」(『週刊新潮』4/23号)
第2位 「フランス『痩せすぎモデル禁止法』!日本でアウトはこの有名モデル」(『週刊新潮』4/23号)
第3位 「安倍官邸、大銀行に『瀕死のシャープを助けてやれ!』」(『週刊現代』5/2号)

 第3位。『現代』の巻頭はシャープの記事だ。安倍首相が自ら「シャープを助けてやれ」と檄を飛ばしているそうである。
 それは、もしシャープが潰れでもしたら、せっかく円安・株高で景気が上向き加減になってきたのに、消費税増税以来の大きなダメージになるからだそうだ。
 シャープはもはや経営努力で何とかなる次元ではないという。

 「銀行は、1兆円以上にまで膨らんだシャープの負債を『デット・エクイティ・スワップ(DES)』つまり、『債務の株式化』という方法で減らす苦肉の策を提案した。負債のうち2000億円を棒引きにするかわり、銀行がその金額分のシャープ株を持つという荒業(あらわざ)である」(『現代』)

   だがこれは応急処置にしかならないため、経産省所管の官民ファンド・産業革新機構による支援も考えているそうである。
 私は全くの経済音痴だから、シャープがどのような状態にあるのかよくわからないが、JALのときもそうだったが、何でもかんでも税金を投入して民間企業を助けるというのは感心しない。
 新自由主義を導入し規制緩和したのだから、小泉や安倍がいつも言っているように、市場に任せればいいのではないか。それこそシャープの人には気の毒だが、自己責任ではないのかね。

 第2位。4月17日のasahi.comに、超人気スーパーモデル、ジゼル・ブンチェンさん(34)が、ファッションショーからの引退を表明したという記事がある。
 彼女はドイツ系ブラジル人で14歳のときにデビューしたそうだ。米経済誌『フォーブス』が、昨年は4700万ドル(約56億円)の収入があったと報じ、「世界で最も所得が多いモデル」の座を8年連続で維持しているそうである。
 モデルは憧れの職業なのだろうが、『新潮』によると、フランスでは「痩せすぎモデル禁止法」が可決されたそうだ。美のお手本が不健康に痩せていてはダメだというのだ。
 「この国では痩身のモデルに憧れた若い女性が拒食症になるケースが多い。そこで、BMI18未満の痩せすぎモデルを雇用した事務所に、7万5000ユーロ(980万円)以下の罰金か、6カ月以下の禁固刑を科す」(パリ在住のジャーナリスト)というから相当厳しい。
 BMIとは体重を身長の2乗で割って算出する体格指数で、日本人の平均は22だそうだ。だが、このところのカロリー摂取量は、ダイエットブームがあるために戦後間もなくの水準にまで戻っていて、女性はBMI18・5以下に分類される人が全体の20%にも上ると言われているという。
 そこで『新潮』は日本のモデルや女優のBMIを調べてみたら、何とすごいことに、15未満が河北麻友子、桐谷美玲(みれい)、あびる優。16未満が鈴木えみ、坂口杏里(あんり)、菜々緒。17未満が戸田恵梨香、高橋みなみ。18未満が蛯原友里、水原希子(きこ)、道端アンジェリカ、藤井リナ。
 デブ=醜い、痩せ=美しいという「神話」がこのまま続くと、日本の女性は心身共に危ないかもしれない。ちなみに私は少しふっくらした女性が好みだけどね。

 第1位。 今、飲み屋などでは寄ると触るとこの人の噂で持ちきりである。
 フィリピンで少女とのわいせつな写真を撮影したとして、4月8日、横浜市立中学の元校長、高島雄平容疑者(64)が児童買春ポルノ禁止法違反(製造)で神奈川県警に逮捕された。
 約27年にわたり少女たちに淫らな行為を繰り返していたというニュースは、県教育界だけではなく日本中を驚かせた。
 『文春』によれば、県警が昨年2月に自宅を家宅捜索したところ、書斎から約400冊のアルバムと、延べ1万2660人の少女や成人女性の裸や局部のクローズアップ写真が見つかったというから驚く。
 きっかけは1988年から3年間、教員としてフィリピンに派遣されていたときに現地で買春を覚え、帰国後も夏休みや冬休みを利用して同国に65回も渡航していたそうだ。
 世界有数の歓楽街として知られるマニラ市内エルミタ地区で観光客を相手に女性を斡旋するジーン・デルガド(43)はこう語る。

 「異常に性欲が強いのです。一日に十回することなどざらで、滞在中は毎日時間を決めてセックスしていました。私に与えられた役割は午後1時までに彼のホテルに女性を連れて行き、次々に部屋に送り込むことでした。午後3時までに何人かとセックスすると、『ブレイクタイムだ』と一旦休憩を取り、その後また数人とセックスするというパターンで、規則正しく、まるで義務のように午後5時まではセックスを続けるのです」

 さらに続ける。

 「私は、1997年頃に売春婦としてタカシマと知り合い、その後数年にわたり彼と関係を持ちました。売春婦の仕事が続けられなくなった2003年頃にポン引きに転じ、昨年1月までの十数年間で数百人以上の女性を彼に斡旋しました」

 だが、高島に未成年の少女を斡旋していたのは、地方に住む少女を専門に扱うポン引きだったという。そのために高島は何度も金品を脅し取られたことがあるそうだ。
 『文春』によれば、フィリピンでは「性獣」と化す高島だが、日本では教育者としての顔を持ち、75年に横浜市教育委員会に採用され、フィリピンから帰国後は市内の中学校で教諭、副校長などを歴任して08年には校長に就任しているのである。元同僚がこう話す。
 「公務員は勤務地を離れる場合、特に海外の場合は、年休中でも、渡航日程や目的などを届けなければならない。高島先生は『マングローブを植林するボランティア活動をやっているんだ』と言っていた」

 とんだボランティア活動だが、『新潮』で高島の相手をした娼婦Aが、「封筒の中には、おそらく100万円か、分厚い札束が入っていた」と言っているから、毎回相当な金額を持っていたようだ。
 部屋にはキヤノンかニコンのカメラが三脚の上にあり、それで女性の恥ずかしい写真を撮りまくったが、セックスは淡泊で、ほとんど射精することはなかったという。
 一日十数人を相手にするわけだから、毎回気を入れていたら、確かに体が持たない。
 近所の住人は『新潮』で、

 「高島さんは非常に温厚な雰囲気で、気軽に挨拶をしてくるような方でした。いいお父さんという感じですね」

 妻、息子が2人に娘が1人。教え子たちからの評判も上々だったようだ。高島は警察の取り調べでこう供述していると『新潮』が書いている。

 「仕事のプレッシャーが強ければ強いほど、倫理観のたがを外すことで解放感を味わえた」

 学校では気さくな教師、家ではいい父親を演じ、フィリピンでは倫理観をうち捨て性の獣と化した男の生き方は、私には「バカなヤツだ」とひと言では片付けられない、こんなことにしか自分の人生を燃やせなかった、この世代のもつ悲しさが感じられるのだ。だが、こんなことを書くと多くの女性から非難の礫(つぶて)が飛んでくるだろうな。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   


元木昌彦(もとき・まさひこ)
金曜日「読んだ気になる!週刊誌」担当。1945年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社に入社。『FRIDAY』『週刊現代』の編集長をつとめる。「サイゾー」「J-CASTニュース」「週刊金曜日」で連載記事を執筆、また上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで「編集学」の講師もつとめている。2013年6月、「eBook Japan」で元木昌彦責任編集『e-ノンフィクション文庫』を創刊。著書に『週刊誌は死なず』(朝日新書)など。
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