くぐり(潜り)とは、大きな木戸や門を出入りするための小さな戸口のこと。茶室の場合は躙(にじ)り口という小さな出入り口を意味する名称で使われる。

 戦国時代から京の町衆は、町内を一揆や狼藉者から住民自身で自衛しなければならなかった。そのため、町の境目となる表通りに木戸を設け、夜中は閉ざして自由な出入りをできなくしていた。江戸期には町の四辻に門を建てることが原則になっており、門には町で雇った番人が置かれ、木戸の開閉や人の出入りの監視にあたっていた。当時は盗難や火事、捨て子、張文(はりぶみ、張り紙のこと)などに警戒が必要だったのだ。そのような暮らしぶりは、京の町並みを題材にした屏風絵の「洛中洛外図」に緻密に描かれており、機会があれば、「くぐり」を出入りする人の様子をぜひ発見していただきたい。このような門や木戸は、明治時代になると交通の問題などを理由に撤去されることになる。

 今回は「くぐり」が登場する京都の盆唄「よいさっさうた」を紹介しよう。

 よいさっさ よいさっさ
 これから 八丁 十八丁
 八丁目のこうぐり(くぐり)は こうぐり(潜り)にくい こうぐり(くぐり)で、
 頭のてっぺん すりむいて
 一かん膏薬(こうやく)、二かん膏薬
 これでなおらな 一生のやまい(病)じゃい

 訳すと、「夜、家に帰るため、門番にお金を払って潜り戸を開けてもらったものの、頭をぶつけてすりむいては、それをまた繰り返している。どうにも治らないのが女遊びだ」、というような内容だろう。子ども向けとは言いがたい内容だが、昔のお盆には、町内の子どもがこの唄を歌い、各家を回っていたそうである。


西本願寺(下京区)の御影堂門正面、門前町の入り口にある門は、かつての「くぐり」と似たような様子がいまも見られる場所である。本来この門は西本願寺の二重門の一つなので、「くぐり」ではない。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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