江戸後期に多くの石像物をつくり、名人と呼ばれた丹波佐吉という石工(いしく)がいた。奈良、大阪、京都を中心に、佐吉は石仏や石灯籠などを数多く残している。なかでも、神社参道に安置される狛犬は、形にとらわれない大胆な作風と繊細な細工で、数え切れないほどある狛犬の中で、突出した存在になっている。

 そもそも狛犬は作者のわかるもの自体が少なく、それも近世以降につくられたものとなると、現代に文化的な価値が認められているものはほとんどない。佐吉の狛犬は、異例中の異例というわけである。これまでに21対がその手によるものと確認されている。京都にはあらゆる時代の狛犬があるといわれるが、佐吉の彫った狛犬はたった一対だけが存在する。京都府園部町(そのべちょう)の摩気(まけ)神社である。自然豊かな丹波路の山間にある神聖な社を訪ねると、参拝者に訴えかけるように、勢いのある姿の狛犬が迎えてくれるはずである。佐吉の狛犬は、あえて彫りにくい石材を使いながら、緻密で大胆に彫り上げていく挑戦的なものづくりであり、狛犬の動きのある鬣(たてがみ)や尻尾の構図が印象的な作風である。

 佐吉は、1816年(文化13)に困窮した旧家の子息として、但馬国竹田(現在の兵庫県朝来(あさご)市)に生まれている。しかし、幼少期に孤児となり、たまたま石工に拾われ、5歳から修行をはじめた。そして、20歳を過ぎた頃に家を出ている。その後、西行(さいぎょう)と呼ばれる、工房をもたない旅回りの石工として働いている。石工としての技巧の高さは、すぐに広く知られるようになったようだが、名声を決定づけたのは職人同士の技競べであった。技競べでつくった石の尺八が御所に献上されることになり、それを孝明天皇が「日本一」と褒め称えたという。名声に恥じぬように生涯を通して石一筋に、家族をもつこともなく孤独に生きた佐吉。最期は誰に看取られることなく、奈良山中で病死したといわれている。


摩気神社の狛犬。鬣(たてがみ)や尻尾がなびくような動きのある造形が、丹波佐吉の代表的な作風である。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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