drone。無人航空機のことだが、この呼称には「殺人ロボット航空兵器」のイメージが強いため、普通はUnmanned Aerial VehicleやUninhabited Aerial Vehicleの略「UAV」といわれることが多い。

 無人機の歴史は古い。第一次大戦中から考えられ、第二次大戦から研究が本格化したという。アメリカでは陸軍がB-17爆撃機を改造して爆弾を積んで敵の施設に体当たりする作戦も考えられたといわれるが、成功はしなかったようだ。

 戦後も様々な研究開発が行なわれてきたが、1970年頃から無線機の小型化や電子誘導装置が発達したことにより、アメリカ、イスラエルが写真撮影などを目的とする無人偵察機をつくり、21世紀に入ると完全自動操縦が可能になり、偵察機から攻撃機へと変容していく。

 『無人暗殺機 ドローンの誕生』(文藝春秋刊)を書いたリチャード・ウィッテル氏によれば、1973年のヨム・キプール戦争(第四次中東戦争)でおとりのロケット弾の開発を命じられたイスラエル航空産業のエイブ・カレムが、ドローンの開発に着手するが、そのアイデアがイスラエルで受け入れられなかったため、カレムは米国に渡って米国籍を取る。

 そして標的殺害能力のあるプレデター(アメリカ空軍のステルス無人戦闘航空機ジェネラル・アトミクス・アヴェンジャーの別名)が生まれる。

 2001年9月11日に起きた同時多発テロの2か月後、アフガニスタンの首都カブール郊外でプレデター3037が、アルカイダのナンバー3モハメド・アテフを殺害したことで、ブッシュ大統領が「戦争の新時代が幕を開けようとしている」と語り、それまでドローンに関心が薄かった軍産複合体や軍需企業に強い影響を及ぼした。

 以来、ドローンは様々な紛争地で使われているが、誤爆が多く、多くの民間人を巻き添えにしているという批判も絶えない。

 日本でも1950年代から研究が開始されており、主に産業分野での開発が進み、農薬散布などに使う産業用無人ヘリをつくったのは「ヤマハ発動機」である。

 現在はさらに小型軽量化されて値段も10数万円のものまで売られていて、アマゾンが配送サービスで使うことを発表し、写真撮影やラジコン飛行機のように趣味で使う人も多くなってきているが、それにつれて問題も多く出てきている。

 操縦ミスで墜落してけが人を出す。飛行機と接触事故を起こす。そしてドローンによるテロまであり得るといわれているのだ。

 今年の1月には泥酔した米政府職員が操縦するドローンがホワイトハウスの前庭に墜落し、周辺が封鎖される騒ぎになり、4月には総理官邸の屋上にドローンが“着陸”しているのが発見された。

 そのドローンには微量の放射能が付着した土の入った容器がついていたのである。『週刊文春』(5/7・14号、以下『文春』)で、警視庁担当記者がこう話している。

 「警備隊の対応が鈍かったため、官邸職員が一一〇番通報もしました。これによって警視庁全体に騒動が知れ渡ってしまった。そもそも官邸警備隊は、新官邸が出来た二〇〇二年に鳴り物入りで発足した組織で、SAT (特殊急襲部隊)出身者ら計百人で構成される精鋭揃いの部隊です」

 精鋭部隊が、いつからドローンが屋上にあったのかもわからないお粗末ぶりで、官邸警備隊長はその日のうちに進退伺いを出したそうだ。

 誰が何の目的でやったのかもわからなかったが、放射能が付着していたことから、原発反対を主張する人間ではないかとの見方が出ていた。

 発見から2日後、福井県小浜市在住の無職、山本泰雄容疑者(40)が小浜署に出頭し、反原発を訴えるためにドローンを飛ばした、容器には福島の土が入っていると話したのである。

 本人はチェ・ゲバラに心酔していたようで、ゲバラの『ゲリラ戦争』を参考書にあげ、自身のブログにたびたびゲバラの言葉を引用していたそうだ。たとえば「40歳になってしまった…平均寿命の半分を無駄に過ごしたゲリラ定年…いやまだ何もしてない」(今年1月10日のブログ)

 背後に反原発グループはおらず個人的なもののようだ。だが、テロリストがドローンに爆発物を乗せて、警戒が手薄な官邸や安倍首相の私邸を狙ったら?

 アメリカFAA(連邦航空局)はドローンの重量、高度、飛行可能区域をかなり厳密に定めていて、破った場合には罰則規定もあり、レーザー光線でドローンを打ち落とす技術開発も進んでいるようだが、「ドローンは日々進歩し、映像撮影などに有効活用されているのも事実で、規制ばかりを強化するのは難しい」(リチャード・ウィッテル氏、『文春』)ようだ。

 『週刊新潮』(5/7・14号)でも軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏がこう話す。

 「メーカーは、プログラムで官邸や皇居周辺を飛べなくするという対応策を打ち出しています。しかし、知識のある人なら、プログラムを書き換えることも可能。政府は航空法改正による飛行規制や、登録制を検討中と言われています。しかし、本物のテロリストには全く意味がないでしょう」

 フランスでは昨年末から、正体不明のドローンが原子力発電所の周囲や大統領府の上空で目撃されている。

 3Dプリンターで拳銃が簡単にできてしまったり、ドローンで「自爆テロ」ができる時代である。アメリカがいくら大量の武器や最新鋭の無人戦闘機を持っていても、簡単に手に入るこうしたIT機器をテロリストたちに使われたら、お手上げかもしれない。

 ウィッテル氏が書いているように「戦争は発明の母」であるが、大変な発明をしたものである。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 ゴールデンウイークの合併号というのは、新年号ほどではないが週刊誌にとってはかき入れ時である。
 部数も上積みして値段も上げるから、読者に買ってもらうために様々な工夫を凝らす。『現代』、『ポスト』は軟派記事やグラビアに力を入れ、『文春』、『新潮』はスキャンダルを売り物にして「客引き」をする。だが日頃の底力か、やはり『文春』が2本のスクープで、合併号の中では一歩か二歩抜け出した。『新潮』は事件に強いところを見せ、加害少女の事件直後の生々しい「告白」を入手した。

第1位 「白鵬『愛人がいた!』」(『週刊文春』5/7・14号)
第2位 「能年玲奈 本誌直撃に悲痛な叫び『私は仕事がしたい』」(『週刊文春』5/7・14号)/「スクープ撮! 能年玲奈と噂の女性演出家“洗脳”現場のベッタリ写真」(『フライデー』5/15・22号)
第3位 「『黒幕少女』がラインした『18歳少女』生き埋めまでの一部始終」(『週刊新潮』5/7・14号)

 第3位。悪魔の所業というのはこういうことをいうのである。18歳の親しかった女友達を、貸したカネを返さない、夜の商売に必要な卒業アルバムを友人たちから借りて返さないことに腹を立て、知り合いのチンピラに頼んで乱暴した上、生きたまま埋めて殺した千葉で起きた陰惨な事件は、この国のある部分が確実に壊れてきていることの証である。
 殺された野口愛永(まなえ)さん(18)は千葉の風俗街では「かれんちゃん」と呼ばれていたという。この年でホストクラブに出入りし、あるホストに入れあげていたそうだ。
 ホストが昇格すると、それを祝って「シャンパンタワー」というバカ騒ぎをするのが客の甲斐性だそうで、1回100万円もするため、千葉の船橋近くのセクシーキャバクラなどで働いていたそうである。
 だがそれでも、ほかのホストクラブにも顔を出していたそうだから、カネが回るわけはない。件の友人をはじめ、あちこちからカネを借りるが、なかなか返せない。
 それに、夜の商売をするために必要な卒業アルバム(写真付き身分証明書の代わり)を、友人たちから借りては返さないことに、「どういうわけか怒りに火が付いた彼女は『かれん、マジむかつく』とか言って、暴走を始めちゃったんだ」(知人女性、『新潮』)
 『新潮』によれば、加害少女と16歳の少年が、野口さんに声をかけて車に乗せ、別のレンタカーに乗り換え、それに乗っていた20歳の井出裕輝と中野翔太が彼女を暴行し、生き埋めにしたそうである。
 加害少女が野口さんを無残に殺した後、電話で、「まるで遊園地に行ってきたんだ~って感じ」でこう話したという。

 「男の先輩(井出)たちが来て、拉致(らち)った車内で、かれんの手足を縛ったんだ。口に靴下を突っ込んで喋れないようにして、顔に粘着テープを巻きつけてから、かれんを林の中に連れて行って、先輩たちがかれんに『暴行』をしたんだよね。あいつ、『あ…あ…』とかしか言わなくなって、マジでガクガクと震えだした。それ見てたらイラついてきて、私、吸ってたタバコで根性焼きを入れて、皮膚をえぐってやったの。(中略)で、生きたまま埋めちゃって、上から土を被せて、かれんの荷物はその辺に捨てた」

 これほど冷酷な殺しをしておいて、その一部始終を、遊びに行ってきたかのように話す神経は常人ではない。だが、自分の意に沿わないことがあるとすぐキレるバカ者たちが増えているのは間違いない。
 犯罪は時代を映す鏡である。そのうち、自分たちが恵まれないのは、今の年寄りたちがこの国をダメにしたからだと、バカ者たちによる「老人狩り」が始まるのではないか。数日前、50年ぶりに買ったエレキギターをぽつぽつ弾き始めたのだが、そんなことより空手か合気道でも習いに通うとするか。

 第2位。『文春』によれば、NHKの朝の連続テレビ小説『あまちゃん』で一躍国民的アイドルになった能年玲奈(21)だったが、今、能年の姿を見ることができるのは『あまちゃん』の再放送とテレビCMのみだという。NHK朝の顔に何があったのか?
 『文春』は、能年と、彼女が所属する事務所レプロエンタテインメントとの間でトラブルが起こっていると報じている。
 『あまちゃん』の撮影は過酷で睡眠時間は平均3時間、しかし、もらう月給は5万円だけだったそうだ。撮影中こんなことがあったという。

 「撮影が終盤に入り佳境を迎えた四月、ついに能年はパンクした。
 この時、能年が弱音を吐いて頼れるのは、折りにふれて演技指導を受けてきた滝沢(充子・レプロのタレントたちのレッスンを担当していた=筆者注)しかいなかった。
 深夜、滝沢に電話をした能年は泣いていた。
 『寮の乾燥機が壊れて、もう明日のパンツがない』
 コンビニで買えばいいと言う滝沢に能年は訴えた。
 『財布には二百円しかない』」(『文春』)

 こうした状況の中で能年はレプロへの不信感を強めていった。経験の浅いマネージャーが現場に出されることが多かったり、現場マネージャーが次々に替わる上、移動の時にいない、先に帰ってしまう、画面に映り込んでしまうなどトラブルが続出した。共演者やスタッフに、能年が謝って回ることも少なくなかったそうだ。
 『文春』によれば、何度か話し合いが持たれたが、Sマネージャーは能年にこう宣告したという。

 「今後は単発の仕事しか入れられない。長期(連続ドラマなど)は入れられない」
 「『あまちゃん』の視聴率は高かったから評価していますよ。でもお前は態度が悪いし、マネージャーと衝突するからダメだ。事務所に対する態度を改めろ」(『文春』)

 そして、決定的な事件が起きたという。当時累計4000万部を突破する人気漫画『進撃の巨人』の映画化の話が持ち上がっていて、制作陣の間で、女性人気キャラクターであるミカサ役に能年の起用が検討されたそうだ。
 能年に知人を通じてこの話が届いたのだが、レプロは能年が事前に接触したことを問題視してオファーを断ってしまった。
 そんなこんながあって「事務所を辞めたい」と意思表示した能年とレプロの本間憲社長が話し合いを持つが、その席で激昂した本間社長が、廊下まで能年を追いかけ、こう吠えたという。

 「負け犬! お前はそんなんだからダメなんだな。逃げたな!」

 本社を飛び出した能年はタクシーを拾うと、滝沢に号泣しながら経緯を語ったそうだ。
 そうしてやっと『三毛andカリントウ』という事務所をつくり、滝沢が取締役に入ったが、こんな噂が芸能界を駆け巡ったという。

 「能年は、演技指導の滝沢に洗脳されている。滝沢の家に同居し、レプロが仕事をオファーしても、滝沢が断らせている」(同)

 右も左もわからない小娘を一から教えて、ようやくこれからカネになるという矢先に独立されたプロダクション側の怒りもわからないではないが、やり方が稚拙すぎると思う。
 『文春』が「能年さんは仕事を断っているのですか?」と声をかけると、能年は記者に向き直り、こう答えたそうだ。

 「私は仕事をしてファンの皆さんに見てほしいです。私は仕事がしたいです」

 小泉今日子がエッセイで、能年にこう呼びかけている。

 〈私の場合は、苦い思いも挫折も孤独も全て飛び越えて早くこっちへいらっしゃいという思いで能年ちゃんを見守る。まさに『その火を飛び越えて来い!』という心持ちで待っている。すぐに傷の手当ができるように万全な対策を用意して待っている〉

 バーニングプロダクションで鍛えられてきた小泉ならではの「応援歌」である。NHKの朝ドラで出た女優は育たないというジンクスがある。能年と事務所のトラブルは知らなかったが、ドラマや映画に出た能年は『あまちゃん』で見せたような生き生きとした躍動感が薄れ、普通の女の子になってしまった気がしていた。
 5月1日発売の『フライデー』は「スクープ撮! 能年玲奈と噂の女性演出家“洗脳”現場のベッタリ写真」とグラビアと記事で大々的に報じている。
 能年が母親のような女性と親しそうに腕を組んで話しながら歩いている。演出家の滝沢充子(53)は結婚していて、夫も一緒。アウトレットに買い物に行って、帰りは3人で電車に乗って、能年が熟睡している写真も掲載されている。
 記事を読んでみると、テレビ関係者は滝沢について「演技指導にとどまらず、タレントのプライベートにマネージャー以上に踏み込んでいく癖がある」ので、事務所側がそれを問題視して3年ほど前に彼女との契約を打ち切ったという。
 だが滝沢のかつての教え子は「ホメて育てるタイプで、素顔は世話好きのオバちゃん。能年さんは、気さくな滝沢さんに惹かれただけでは」と評価は正反対。
 この洗脳騒動が広がれば、スポンサーもつかず仕事はさらになくなるだろうと、先のテレビ局関係者が語っているが、前の事務所側の「意向」を代弁しているのではないか。いずれにしても能年は自力で女優としての技量を磨いて、再び這い上がっていくしかない。見守ってやろうではないか。

 第1位。白鵬に愛人! 合併号の週刊誌の中でピカイチのスクープはまたしても『週刊文春』だ。絶対匿名を条件にこのように話すのは、ある角界関係者。

 「実は、渋谷のマンションにはMというモンゴル人女性が住んでいて、横綱は彼女に会いに行っていたのです。横綱は彼女の住むマンションの家賃を払い、グッチやルイ・ヴィトンの新作バッグを買い与えるなど、贅沢三昧の暮らしをさせていた。Mは“横綱の愛人”と言っていい存在なのです。付け人たちから、『横綱はMにのめり込みすぎて、お米(お金のこと)が出なくなった』というボヤキが出るほどの入れ込みようでした」

 そのマンションは東京・渋谷区の閑静な住宅街にあるそうだ。数年前から夜な夜な“山のような大男”白鵬(30)が出入りする姿が目撃されていたという。
 そのマンションで数時間を過ごした後、明け方前にはマンションを後にしていたそうだ。前人未踏の33度目の優勝インタビューで白鵬はこう語っていた。

 「強い男の裏には賢い女性がいます。横綱に上がった時、『精神一到』という言葉を教えてくれた賢い奥さんに感謝したい」

 1歳年上の紗代子夫人は徳島県の令嬢で、父親は朝青龍の全国後援会会長を務めていたこともある資産家である。白鵬の一目惚れだった。交際3年のあと07年に「できちゃった婚」した時、夫人はまだ学習院大学に在籍する女子大生だった。
 朝青龍と違って家庭を大事にする横綱という評判だったのに、裏の顔は違っていたようだ。
 Mを連れて飲み歩くこともあったし、千秋楽の打ち上げにも彼女は頻繁に顔を出していたという。
 ミニスカートやホットパンツ姿の派手なモンゴル人女性は、客の中でもひときわ目を引く存在だったというが、それはそうだろう。

 「彼女は百七十センチくらいある長身で、スラリとしたK-POPアイドルのような美女です。年の頃は二十六歳くらい。二人が出会ったのは、四、五年前の九州場所の打ち上げと聞いています。Mのお姉さんと白鵬が故郷の小学校の同級生で、それが縁で知り合ったと聞いています」(先のある角界関係者)

 最近のMはモデルのようなこともしているが、彼女は金がかかる女で、横綱はこれまで4ケタ(1000万円以上)のお金を貢いだともいわれているそうだ。でも相撲には興味がなく、相撲観戦するわけではないという。
 白鵬はよく周囲にこんなことを言っているそうだ。

 「やっぱりオンナはモンゴルのほうがいい。違うんだよ」(宮城野部屋関係者)

 母国語で話ができることが楽しくてたまらないのだろうが、奥さんが聞いたらどんな気持ちだろう。
 それにしても白鵬が夜ごとマンションに現れれば目立つことは間違いない。知り合って4、5年にもなるというのに、どうしてこれまで表沙汰にならなかったのだろう。
 大相撲村に生息している力士たちはもちろんのこと、新聞やテレビの記者たちも知っていながら知らない素振りを決め込んでいたに違いない。だが、このところ白鵬の記者嫌いやモンゴル籍のまま親方になりたいという、協会側からすると「わがまま」に、この辺でお灸をすえてやれという、どこからかの“意向”が働いたのかもしれない。
 相撲ジャーナリストの中澤潔氏はこう話す。

 「いまや相撲界は白鵬の天下です。強ければ何をやってもいいとモンゴル流に解釈しているのでしょうが、そういう点では傍若無人だった朝青龍とそっくりです。いまの相撲界には国技を継承しているという自覚がある力士は皆無で、その象徴が白鵬なのだと思います」

 私は、この言い方は白鵬に酷だと思う。戦後の相撲の歴史に燦然と輝く金字塔を打ち建てても、異国から来た横綱を見る日本人の眼差しは、かつての若乃花や栃錦、貴乃花ほどには温かくはない。
 早く白鵬を土俵に這わせる日本人力士が出てこないのか。そういう空気は土俵にいる白鵬には嫌というほどわかるに違いない。この愛人騒動が「白鵬突然の引退」につながらないか、心配である。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   


元木昌彦(もとき・まさひこ)
金曜日「読んだ気になる!週刊誌」担当。1945年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社に入社。『FRIDAY』『週刊現代』の編集長をつとめる。「サイゾー」「J-CASTニュース」「週刊金曜日」で連載記事を執筆、また上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで「編集学」の講師もつとめている。2013年6月、「eBook Japan」で元木昌彦責任編集『e-ノンフィクション文庫』を創刊。著書に『週刊誌は死なず』(朝日新書)など。
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