1895(明治28)年、日本で初めてのちんちん電車(路面電車、京都電気鉄道会社運営)の営業が、京都駅から伏見間を皮切りにはじめられた。平安神宮近くに完成した琵琶湖疏水による蹴上(けあげ)発電所の、水力発電で得られる電力を利用するものだった。当時は東京遷都後の京都に活路を見いだそうと、さまざまな都市開発が計画されていたのだ。

 ちんちん電車にはいろいろな逸話が残っている。例えば、開業当時は、告知人という12歳から15歳の少年がいて、旗や提灯をもちながら「電車がきまっせぇ、あぶのおっせぇ」と叫び、電車の約9メートル前を走っていた。また、発電所が止まると、電車が走れなかったので、毎月1日と15日の疎水の藻刈りには休業していた。増水などでも休みになっていたという。

 掲載した写真は、1912(明治45)年に京都駅から延伸し、北野天満宮前まで乗り入れた北野線である。北野線の車両には、ちんちん電車の代名詞である大正期製造の「N電」こと、狭軌I型の車両が長く使用されていたため、鉄道ファンにも人気の路線だった。北野線は1961(昭和36)年7月に廃止となり、路線の一部は京都市電へと受け継がれたものの、1978(昭和53)年に全線廃止。83年間の歴史に幕を閉じた。

 廃止後、もう40年あまりが経とうとしている。それでも町を歩いていると、以前は電車が走っていただろう、妙に広い道とか、転車場の跡などが見つけられる。特に、敷石には御影石の良材が使われていたので、廃止後、東山の二年坂や産寧坂(さんねいざか)、石塀小路(いしべこうじ)、哲学の道などのあちこちに再利用されている。それを知っていると、これまでと少し違った目で、京都散策が楽しめる。


北野天満宮前を走る北野線のN電。木造の電気客車である。広軌(線路の軌間が標準より広いもの)型と区別するため、車体番号の頭文字を「N」としたので「N電]と呼ばれた。京都電気鉄道が製造した車両は133両で、ほかに3両の散水車があった。神戸、熊本、名古屋などへ売却され、各地で活躍した。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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