京に都が移された平安遷都のとき、周囲を取り囲む四方の山の石蔵に経文を納め、王城鎮護を神仏に祈ったという。その四方の山とは、東は左京区粟田口(あわたぐち)の東岩倉山(現在の大日山(だいにちやま))・日向(ひむかい)大神宮付近、西は西京区大原野にある西岩倉山・金蔵寺(こんぞうじ)、南は下京区石不動之町(いしふどうのちょう)の明王院不動堂、北は左京区岩倉上蔵町(あぐらちょう)の山住(やまずみ)神社で、これらの地を「四磐座」と呼んでいる。

 このような磐座は、神が降臨するとされる石を、神の座として神聖視した古代信仰の磐座信仰によるものである。古代の人は、山の頂に巨大な岩を積み上げ、それを祭壇として祭祀を執り行っていたと伝えられている。北岩倉山にあたる山住神社は、996年ごろまでは、現在近くにある岩座(いわくら)神社がこの場所にあったといわれている。今は岩座神社の御旅所で、そこには社殿がなく、かつての磐座であろう巨大な岩があり、これをご神体として崇めている。

 磐座信仰の痕跡は、四磐座以外にも、京都市内のあちこちに見られる。例えば、上京区浄福寺通上立売上ルに巨石のみが残されている岩神祠(いわがみのほこら)、左京区松ヶ崎の林山にある岩上神社などである。さらに、応仁の乱で西軍の拠点となったことで知られる船岡山(北区)の山頂には、磐座の跡が残されており、この場所を基準として平安京の朱雀大路が決められたという。このような磐座信仰の名残は全国各地に残されており、磐座の多くは、腰掛石や影向石(ようごういし)、姥石(うばいし)などと呼ばれている。


船岡山の西南側山頂付近にある磐座。船岡山は標高415メートルの小山で、京都に都が定められたときの北の基点である。この磐座の真南に大極殿が建てられ、朱雀大路が通された。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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