落語家。1966年東京生まれ49歳。高校を中退して17歳で両親の反対を押し切り故・立川談志(享年75)の弟子になる。その理由を『フライデー』(1/8・15号)でこう語っている。

 「高校生で初めて談志の『芝浜』を見たときの俺が、その状態(本当にすごい芸を見たら、客は驚愕のあまり声すら出ず、茫然とするだけ=筆者注)でした。自分の想像を超えた芸に、感想も言えないほどの衝撃を受けた」

 97年に真打ち昇進。人情噺に定評があり、現在最もチケットが取りにくい落語家といわれる。

 滅びゆく落語をどうしたら現代に甦らせることができるかを考え続けた談志の芸を継承するであろう弟子は3人いる。志の輔と志らくと談春である。

 志の輔は師匠談志とはひと味違う芸風で、古典ばかりではなく新作落語で新境地を拓いている。志らくは談春より年が上だが入門は1年半遅い。

 弟子たちはみな修行と称して築地市場で働かされたが、志らくだけは「嫌です」と言って行かず、談志もこれを許した。弟子入りする人間に談志は「修業とは矛盾に耐えることだ」と言っていたのにもかかわらず、志らくのわがままを許した。

 志らくも東京生まれで父親がギタリスト、母親が長唄の師匠。江戸前の気っ風のいいしゃべりが魅力だが、そのほかにも映画の名作を落語にする「シネマ落語」、脚本・監督・主演も務める映画制作、自分の劇団を持ち、年二回公演をやるなど、談志も舌を巻くほどの多彩な才能の持ち主である。

 最近はロックバンド「ZAZEN BOYS」と一緒に落語会を開いて、落語に馴染みのない若者への「布教活動」にも力を入れている。

 だが、師匠談志は志らくが落語以外のことに手を広げるのをあまり快く思っていなかった。晩年、喉頭がんのために声が出なくなっても落語のことを考え続けていた談志にすれば、志らくにも落語だけに精進して談志落語を継承・発展させてもらいたかったのであろう。

 たしかに談志は志らくを可愛がった。それは自分の持っている「狂気」を一番受け継いでいるからだと話している。

 志らくは兄弟子である談春より早く真打ちに昇進している。談春はその時の悔しさを「談志を殺してやろうと思った」と述懐している。

 そんな談春に談志が「嫉妬とは何かを教えてやる」と、こう話したという。

 「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来ならば相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩(やから)の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない」

 談志にも同じ経験があった。古今亭志ん生の息子である古今亭志ん朝は談志と並んで落語界を代表する若手のホープだった。談志のほうが芸歴は長い。だが、志ん朝のほうが早く真打ちに昇格してしまう。談志には談春以上の悔しさと嫉妬があったと自著で何度も書いている。

 談春は志らくに先を越された悔しさをバネに古典落語一筋に打ち込んでいく。愚直なその姿勢と客をのみ込むような迫力ある高座は、やがて花開く。

 私は談春とは楽屋を訪ねて、彼が好きな競艇の話をしたことがあるだけだが、古典、それも人情噺を語らせたら若手随一と言っても言い過ぎではないだろう。

 名人・六代目三遊亭円生が得意にした『包丁』という噺がある。風采の上がらない弟分が兄貴分に鰻をおごられて、若い女ができたので清元の師匠をしている女房と別れたいと相談される。ついては家に上がり込んで女房にちょっかいを出しているところに包丁を持って現れ、女房を女郎にたたき売ってカネを山分けしようともちかけられるのだが、上がり込んで酒を飲んでいるうちに彼女に全部バラしてしまうという噺だ。

 談志もときどき高座にかけていた。弟子の噺をほめない談志が、あるとき談春の噺を聴いて「オレより上手い」と言った。今はほとんど聴けなくなった『九州吹き戻し』も落語好きなら一度は聴いたほうがいい。

 談志の十八番『芝浜』は、まだ談志の域には及ばないが、これからが楽しみである。私は談志から落語の話を聞くのが好きだった。今でも覚えているのは『文七元結(ぶんしちもっとい)』という噺の難しさについてだった。

 無類の博打好きの左官の長兵衛が身ぐるみ剥がされて家に帰ってくると、娘が父親の借金を返すために吉原の女郎屋に身を売るという。

 あわてた長兵衛が駆けつけると、そこの女将から説教され、来年の大晦日までという約束で50両を借り受ける。もし返せないときは娘を女郎として店に出すといわれ、長兵衛が吾妻橋にさしかかると、集金した50両の金をなくし身投げをしようとしている大店の奉公人・文七と出くわす。

 どうしても死ぬという文七に、長兵衛がカネのいわれを語って聴かせ、50両を投げつけるようにしてその場を去るところが見せ場だが、いくら江戸っ子だからといってもこんなことはあり得ないと、談志を含めて演者はみな苦労する。

 談志の若い頃から順に『文七元結』を聴きくらべてみると、どう演じるか悩んだ跡がわかって興味深い。談志は昔から「オレは人情噺が嫌いだ」と公言していた。だが『芝浜』は試行錯誤して談志の『芝浜』を作り上げたが、『文七元結』や『子別れ』については「落語では」ないとまで言い切っている。

 だが落語評論家・広瀬和生に言わせると「『文七元結』は、まさに談志言うところの『非常識の肯定』であり、『人間の奥底にある何だかわからないもの』を描いている『イリュージョン落語』なのだ」(『談志の十八番』光文社新書より)と評価し、談志の十八番に入れている。

 この難しい噺にどう挑むのかで落語家の力量がわかるといわれる。志ん朝はほかの噺家から「あそこで50両やりますかね」と聞かれると、「そう思うんなら、君はあの噺は演らないほうがいい。向いてないから」と突っぱねたという。

 談春が演ると、長兵衛と文七の後ろに夕暮れの大川の橋の上の情景が浮かび、歌舞伎の一場面を見ているようである。

 談志が晩年、落語には「江戸の風が吹かなければいけない」と言ったが、談春の落語には見事に江戸の風が吹いている。

 立川談志が書いた『現代落語論』はいまでも落語家や落語好きにとってのバイブルだが、落語家は文章を書けというのも立川流のモットーである。

 志の輔は数々の新作落語を書いている。『歓喜の歌』は映画やテレビドラマ化もされている。志らくは師匠譲りのスピード感のある文体が特徴で、著書も数多い。

 談春は文芸評論家の福田和也の知己を得て文芸季刊誌『en-taxi』に「談春のセイシュン」を連載し、『赤めだか』(扶桑社)として出版して講談社エッセイ賞などを受賞している。

 最近は『ルーズヴェルト・ゲーム』『下町ロケット』などテレビドラマの出演も多い。

 昨年末には『赤めだか』がTBS系で放送され、談志をビートたけし、談春を「嵐」の二宮和也(かずなり)が演じている。『フライデー』で談春は談志についてこう語っている。

 「談志は自分の考えをいちいち説明しない。だから本当はどう考えていたかなんてわからないんですよ。でも俺は、談志のメッセージを自分なりに解釈して、それが師匠からの愛情だと感じていた。きっと俺だけじゃなく、談志に関わる多くの人が同様に『談志にまつわる記憶の上塗り』をしているはず。そうされることこそが、談志の人徳なんだと思うんです」

 私も年末年始に談志と談春の『芝浜』を聴いた。談春の課題は、不世出の落語家の背中を追いかけ、いつ追いつくのかであろう。談志は60代の落語がよかったといわれる。70代は病と闘い続け道半ばで斃れたが80代の談志を聴きたかったとつくづく思う。

 60代になった談春がどんな落語を演じてくれるのか、今から楽しみである。

 「落語は忠臣蔵の(討入りした)四十七士じゃなくて、逃げちゃった残りの赤穂浪士二百五十三人が、どう生きるかを描くもんだ」。私の好きな談志の言葉である。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 今年は丙申(ひのえさる)の年だけあって年初から波乱含みである。安倍首相が「デフレは終わった。これからは一億総活躍社会だ」と威勢のいい年頭所感を出した瞬間、東京株式市場は大幅に下落してしまった。はやくアベノミクスの失敗を認め、消費税10%引き上げを断念して、参議院選までに辞任したほうが自身の病のためにもいいと思うのだが、安倍さん。

第1位 「老いを告白された『天皇陛下』絶句15秒間の異変」(『週刊新潮』12/31・1/7号)
第2位 「日本に『イスラム国』のメンバー2名が潜伏している!」(『週刊文春』12/31・1/7号)
第3位 「『週刊文春版2015年流行語』はこれだ!」(『週刊文春』12/31・1/7号)

 第3位。まずは『文春』の記事から。昨年の流行語大賞ほど評判の悪いものはないようだ。爆買いはいいとしてトリプルスリーなんて、どこの誰が使っているのだ。そこで『文春』が読者に緊急アンケートをしたら4500通を超える回答が寄せられたそうだ。そのベスト5は、1位が「爆買い」以下、「五郎丸ポーズ」「マイナンバー」「安心してください(穿いてますよ)」「ドローン」の順。このほうがみんなの実感に近いようだ。

 第2位。同じ『文春』は巻頭で日本にイスラム国の人間が2人、入ってきていると報じている。その情報は「欧米の情報機関と日本当局とが開設している極秘の伝達手段によって得られたものである」という。内容は「IS関係者、二名、日本国への入国情報アリ。確認されたし」。1人はパリのテロ事件の首謀者アバウド容疑者と「接触」していたことが確認された男A。もう1人はISの資金調達を任務としているのではないかというBだが、こちらは性別さえもわかっていない。
 信憑性がどこまであるのか記事を読む限りわからないが、あり得る話ではあろう。Aはフランス人で氏名、容貌、身体的特徴まで詳細な情報を日本当局は入手しているという。それが事実ならAが捕捉されるのは時間の問題だろう。
 フリージャーナリストの安田純平氏がシリアの武装組織に拘束され、身代金を要求されているという情報がある。
 彼は今年6月に取材でシリア国内に入った後、行方がわからなくなっている。もしこの情報が事実だったとしたら、日本政府はどのように対処するのだろう。後藤健二氏のときのように、後手後手と回って見殺しにするのだろうか。気懸かりである。

 第1位。『新潮』は天皇が82歳の誕生日会見で絶句したことを取り上げている。天皇は冒頭、5月に鹿児島県の口永良部島の新岳(しんだけ)が噴火したことや、9月には豪雨により鬼怒川などが氾濫して8人が亡くなった災害について話し、二人の日本人がノーベル賞を受賞した喜びなどに続けて、こう語り始めた。

 「今年は先の大戦が終結して、70年という節目の年にあたります。この戦争においては、軍人以外の人々も含め誠に多くの人命が失われました」

 ここでいったん「お言葉」が途切れ、続く「平和であったならば、社会のさまざまな分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、このことを考えると、非常に心が痛みます」にいくまで「沈黙の15秒」があった。このことが「天皇陛下がご高齢であることを再認識させられる」(宮内庁記者)ことになったというのである。
 8月15日の全国戦没者追悼式でも黙祷の前に「お言葉」を述べてしまうなど、天皇の体調を心配させるハプニングが起きていた。だがそのことについて天皇は会見の中で「私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。したがって、一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」と率直に語っている。
 天皇は高齢である。少しぐらいの間違いやもの忘れをとやかく言うものではない。それよりも天皇がここに込めた「あの戦争の悲惨さを決して忘れてはいけないという思い」を、われわれは重く受け止めなければいけないはずである。
 12月23日夜の『報道ステーション』で古舘伊知郎キャスターは、天皇についての長い特集を組み、戦争で亡くなった人たちへの鎮魂と沖縄に対する天皇の強い思いを何度も繰り返し伝えていた
 天皇の今回の「お言葉」は明らかに、日本の戦争を美化し戦前回帰を強める安倍自民党への強い批判である。そこをはっきり伝えず、高齢による老化を心配するふりをして天皇の言葉の重みを減じようというのは、安倍首相の意を汲んでのことではないかと邪推したくもなる。
 そういえば、テレビ朝日が『報道ステーション』の古舘キャスターが今年3月いっぱいで降板することを発表した。安倍自民党の圧力に古舘が嫌気がさしたのか、テレビ朝日が圧力に屈したのだろうか。『NEWS23』の岸井成格(しげただ)キャスター批判といい、この国の言論はますます危うくなっている
 それなのに大新聞は新聞に「軽減税率」適用をしてくれる安倍自民党に擦り寄るポチに成り下がっている。恥ずかしくないのか。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   


元木昌彦(もとき・まさひこ)
金曜日「読んだ気になる!週刊誌」担当。1945年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社に入社。『FRIDAY』『週刊現代』の編集長をつとめる。「サイゾー」「J-CASTニュース」「週刊金曜日」で連載記事を執筆、また上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで「編集学」の講師もつとめている。2013年6月、「eBook Japan」で元木昌彦責任編集『e-ノンフィクション文庫』を創刊。著書に『週刊誌は死なず』(朝日新書)など。
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