京都には「染めを生かすも殺すも水一つ」ということばがある。水とは、主に鴨川や堀川のことで、京都の伝統染色である友禅染めは、鴨川染めとも呼ばれてきた。染め上げた反物を鴨川で洗うといった光景は、さぞや風情があったことだろう。今は見ることができなくなってしまったが、友禅染めにたずさわっている職人は、現在も堀川通を中心に、北は丸太町(まるたまち)通から南は姉小路(あねこうじ)通の一帯で仕事をしている。

 実は、この北側に隣接する町は西陣である。絹糸を染めて文様を織りなす西陣織と、白生地に絵画的な染色を施す友禅染め。「絹は生きもんや」と、染めの職人さんはよく言うけれど、糸染めでも、生地染めでも、その源にあるものは、鴨川、堀川の流れというわけである。

 友禅染めが創始されたのは、17世紀末の元禄年間のこと。絵師の宮崎友禅斎によるものとされるが、友禅斎に関する記録はほとんど残っていないため、詳しくはわかっていない。友禅染めの基本は、染め型を使った型染めを応用し、手描きの技術を組み合わせたところにあることから、考案者の友禅斎は、染めの意匠をつくるデザイナーのような存在だったのではないかと言われている。

 江戸中期は着物に関わる物づくりが贅を極めていた時期である。友禅斎の緻密な型染めと繊細な手描きを組み合わせるという発想の転換によって、その後の染織工芸には画期的な進歩がもたらされた。例えば、型染めや手描き、絞り染めなどが渾然と飾り整えられた「辻が花」がそうであり、染色と刺繍を組み合わせた立体的な小袖の技法もこの頃生まれた。この多くが、京都を代表する伝統染織として現在も受け継がれている。


昭和期の堀川の様子。ちんちん電車・北野線が、堀川中立売から四条堀川の間を昭和36(1961)年まで走っていた。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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