京都は平安遷都から明治2年まで、平清盛が遷都した5か月以外はずっと都であった。当初の平安京は、坊や条、四行八門(しぎょうはちもん)といった「区画」で場所を表していたが不便であり、次第に街路の「通り名」によって表す実用的な方法がとられるようになった。現代の京都でも、町名番地の一般的な住所のほかに、通り名と上ル下ル(あがるさがる)、西入東入(にしいるひがしいる)を組み合わせ、ある地点を表すことは、皆さんも知っているだろう。これは平安期以来の営みの名残といえる。今回はそのような町の歴史を映し出す通り名とその由来に触れてみたい。

 まずは、最も有名な京都の大動脈、烏丸通。「からすまどおり」と読み、通りは北大路通(きたおおじどおり)から南の久世橋通(くぜばしどおり)まで、京都駅をまたいで延びている。この通りは平安期の「烏丸小路(こうじ)」にあたり、当時は公卿の邸宅や市井の人家が建ち並んだ幅12メートルほどの小道だったという。それが室町時代になる頃には商工業の中心として栄え、周辺に豊かな人が多く集まるようになったそうだ。ちなみに、オフィス街で烏丸通と交差する御池通(おいけどおり)の「御池」とは、鎌倉時代に公卿・二条良実の別邸にあった龍躍池(りゅうやくち)にちなんでの名前である。

 市街地で面白い名称の通りがある。天使突抜通(てんしつきぬけどおり)と言い、これは豊臣秀吉が都市改造をしたときにできた小川通(おがわどおり)の別称である。小川通りを南向きに進んでいくと、五条天神の社(別名・天使社)があり、通りはそのまま鳥居を潜り、社の中を突き抜けて五条通に到達する。だから、五条天神の付近だけを天使突抜通と呼んでいるわけだ。この道をさらに南に進むと、かつて魚問屋が軒を連ねた魚棚通(うおのたなどおり)、続いて東中筋通(ひがしなかすじどおり)へと名称を変えていく。

 このように途中から名前の変わる通りはよくあって、その最たる例が黒門通(くろもんどおり)である。黒門通りは、まず御池通を越えて「新シ町通(あたらしまちどおり)」となった後、「御太刀松通(みたちまつどおり)」、「竹屋町通(たけやまちどおり)」と変わっていく。

 前述の「魚棚」や「竹屋」に見られるような、職業と直接関連づけられた通り名も数多い。例えば、一風変わったものとしては、西陣の上立売通(かみだちうりどおり)、中立売通(なかだちうりどおり)、下立売通(しもだちうりどおり)という三本の道がある。昔、これらの道には呉服屋が建ち並んでいたため、「絹の反物を裁(た)ち売(う)った通り」という意味から、このような通り名が付けられたと言われている。


住宅案内にある東中筋通が、かつて天使社の境内を突き抜けていた天使突抜通の正称。住宅案内左上の方位マークの辺りが五条天神さん。



現在は東中筋通は残っているが、天使社は隣接するマンションに所狭しと囲まれた状態である。


京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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