播州明石(兵庫県)に生まれた江戸初期の大工で、彫り物師としても有名な人物である。日光東照宮造営に携わり、現在では、かの猿の彫り物以上に有名な「眠り猫」を手がけたとされている。また、名前になんとなく聞き覚えがあるのは、古典落語「三井の大黒」などといった逸話ものの登場人物として、名工の代名詞的存在であるからだろう。しかし、実際のところ、来歴は生没年不詳。実在したかどうかさえわからないとする見方もある。

 真か嘘か。そのような左甚五郎が修行をしていたのは京都である。与平次という、京都宮中の禁裏大工のもとで技術を磨いた。それ故に、京都には甚五郎作と伝えられる遺作が数多く残されている。

 例えば、京都御所の鬼門にあたる東北角の猿ヶ辻は、外壁に角がない独特の造りになっていて、そこには魔除けとして烏帽子をかぶった木彫りの猿の像が置かれている。これが左甚五郎の作といわれており、言い伝えによれば、猿が夜になると付近をうろつき、いたずらをするため、この場所に金網を張って閉じ込められたそうである。また、西本願寺の唐門にある鶴の浮き彫り、祇園祭の山鉾の一つである鯉山の鯉も甚五郎の名作といわれている。

 京都の甚五郎巡りはさぞ楽しかろう。なかでも訪ねてほしいのは、浄土宗総本山の知恩院である。この御影堂の天井には、左甚五郎が置いていったという「忘れ傘」があり、この御影堂から大方丈、小方丈へ500メートルあまり続く長廊下は、甚五郎が仕組んだ鶯張りでつくられている。もともと鶯張りは、敵の侵入を防ぐための細工である。誰かが床を踏むと、床板を止めた「かすがい」が軋んだり、打っておいた釘と釘が触れ合ったりすることで、鳥の鳴き声のような音を発するものだ。左甚五郎作の鶯張りは、「血天井」で有名な養源院(東山区)にも残されている。


京都御所の鬼門の北東角は、築地塀(ついじべい)が折れ曲がった独特の構造で、角がない。その屋根裏(写真左上)に、烏帽子姿で白い御幣を担いだ猿が閉じ込められている。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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