読めない地名シリーズは、これまで比較的有名な地名を選んできた。そこで3回目は、超難読の地名を列挙してみたい。さて、いくつ読むことができるだろう。

(1)楊梅小路。(2)左女牛小路。(3)御陵。(4)醍醐僧尊坊。(5)大槐里。(6)安居院。(7)羽束師。(8)筋違橋。(9)卜味金仏町。(10)冷泉通。(11)樵木町通。

 京都の難読地名として代表的なものは、平安期、そして荘園による管理が行なわれていた時代の名残の名称である。(1)と(2)はいずれも平安期から続く通り名で、楊梅小路は「やまももこうじ(現・下京区の楊梅(ようばい)通)」、左女牛小路は「さめうし(じ)こうじ(現・下京区の花屋町通)」と読む。左女牛小路は、堀川六条あたりの源氏の館にあった井戸、左女牛井(さめがい)に由来すると伝えられている。

 次に多い難読地名は、天皇や公家、寺院にゆかりのある場所の名前である。(3)御陵(山科区)は「みささぎ」と読み、天智天皇山科陵に由来している。(4)と(5)は醍醐寺(伏見区)ゆかりの場所だ。醍醐僧尊坊(伏見区)は「だいごどどんぼう」と読み、「浄尊坊(じょうそんぼう)」が訛った名称だという。大槐里(山科区)は「おおえんじゅがり」と読み、古くは醍醐寺の田地であったようだ。(6)安居院(上京区)は「あぐい」と読む。比叡山東塔竹林院の人里につくった僧坊(現在はない)の愛称が、その後も地名として定着している。(7)羽束師は「はづかし」。近くにある羽束師神社(伏見区)が地名の由来である。

 (8)筋違橋(上京区)は「すじかいばし」と読む。「筋」は通りの意味であり、通りをまたぎ、斜めにかかる橋ということを表している。由来のわからない名称も少なくない。(9)卜味金仏町(下京区)は「ぼくみかなぶつちょう」という。江戸初期には「卜味町(ぼくみちょう)」と読んでいたようだが、その由来は定かでない。

 最後は有名な通り名で、一風変わった難読ものである。(10)冷泉通(左京区)は「れいぜいどおり」と読む。これは平安期に嵯峨天皇が建立した冷泉院(れいぜいいん)にちなむ名称だが、この地名が難しいのは、町名でもある冷泉町のほうは、「れいせんちょう」と読ませることである。(11)樵木町通は「こびきまち(こりきちょう、とも)どおり」と読む。これは現在の中京区の木屋町通(きやまちどおり)の古名であり、「樵」は「きこり」とも読める。木屋町通に沿って流れる高瀬川流域には、かつて木材に関係する業者や職人が集まっていたため、この名前が付けられていたそうだ。


正面(しょうめん)通が鴨川をまたぐ正面橋(しょうめんばし)は、古くは勧進橋とも呼ばれていた。正面通がなんの正面かといえば、豊臣秀吉が建立した方広寺の大仏の正面という意味で、この道は通過する場所によって、七条坊門通、中珠数屋町通、御前通とも呼ばれている。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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