7月23日は祇園祭の後祭宵山(あとまつりよいやま)で、24日は後祭り巡行である。祇園祭の起源は平安時代の869(貞観11)年とされるが、山鉾が建てられている町内の会所で、巡行前日の夕刻に、今日のようなご神体や宝物が飾られ、周辺の町家の「店の間」などでお宝の屏風などを飾るようになったのは、江戸期の宝暦(1751~1764)年間からのことである。

 祇園祭の鉾や山の保存会を維持管理している町のことを、京都では山鉾町(やまほこちょう)と呼ぶ。山鉾町それぞれの町名や地名は、祇園祭の山鉾に由来するものが多い。

 例えば、長刀鉾町(なぎなたぼこちょう)。常に巡行で先頭を行く鉾頭(ほこがしら)で、禿(かむろ)を従えた生稚児(いきちご)を、祇園祭で唯一乗せている長刀鉾が所在する町である。巡行の時には、長刀鉾に乗ったお稚児さんが、太刀を使って注連縄(しめなわ)を切らなければ、他の鉾や山は動くことができないことに決まっている。このような祭と町の関わりがあるからこそ、山鉾の名前がそのまま町名になっているのだ。

 巨大なカマキリのからくり人形を屋根に乗せた、蟷螂山(とうろうやま)を知っている人は多いだろう。水引(みずひき)や見送(みおくり)などの懸装品(けそうひん、山や鉾を飾る織物、金細工、彫り物)はすべてが友禅染で彩られている山で、蟷螂山町に所在している。この山も応仁の乱(1467年)以前からずっとあるもので、現在の町名になる前は、「錦小路(にしきこうじ)かまきり山」と呼ばれていたこともあるそうである。

 また、鉾や山の名称と一致しない名前の町もある。「孟宗山(もうそうやま)」を出しているのは、難読地名としても有名な笋町(たかんなちょう)だ。一方、中世には鍋や釜を取り扱う店が集まっていた釜座町(かまんざちょう)は、現在は参加していない「鷹(たか)つかひ山」を祇園祭に出していた。

 宵山などで山鉾町をそぞろ歩くなら、お飾り場のお宝とともに、町名やその歴史にも目を配り、祇園祭を支えてきた町衆の歴史も合わせて楽しんでいただきたい。


宵山の会所飾りの様子(太子山)。山鉾のご神体や懸装品などを保存、展示する場所のことを「町会所」という。「町家(ちょういえ)」や「お飾り場」とも。



祇園祭、山鉾巡行の様子。


京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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