大橋巨泉さんが亡くなった。享年82。本名は大橋克巳(かつみ)。芸名の「巨泉」は俳号である。東京府東京市本所区(現:東京都墨田区)両国生まれ。祖父は江戸切子の名人・大橋徳松。実家はカメラの部品製造と小売業を営む「大橋商店」を経営していた。

 早稲田大学政治経済学部新聞学科中退。俳句の道へ進もうと思ったが、2年後輩の寺山修司と出会い「こいつにはかなわない」と俳句から足を洗った。

 その後ジャズ評論家として有名になり、草創期のテレビで、放送作家、タレント、司会者として活躍する。

 特に1966年から司会を始めた深夜番組「11PM」(日本テレビ)は、テレビの視聴スタイルを変えたといわれる。そのほか「クイズダービー」や「世界まるごとHOWマッチ」など自ら企画した番組を次々にヒットさせた。

 ジャズ歌手のマーサ三宅さんと結婚するが離婚。その後今の寿々子さんと再婚する。

 7月7日に亡くなった畏友・永六輔さん(享年83)と同じ昭和一桁世代。二人に共通するのは反骨、反戦、気短、根は優しい愛妻家

 私と巨泉さんとの出会いは作家・山口瞳さんの紹介で、東京競馬場だった。その頃は競馬界への辛口評論家としても頭角を現していた。

 新妻の寿々子さんが買ってきたほぼ全通りの馬券を服のあちこちに入れて、穴馬が来ると「いや~この馬が気になっていたんだ」と当たり馬券を手品のようにして取り出すのを、横で見ていたこともあった。

 中央競馬の馬主になり、1973年に所有馬ロックプリンスが東京優駿(日本ダービー)に出走したときの感激ぶりとあわてぶりはすごかった。

 朝からタキシードをビシッと着て、心ここにあらず。何を話しかけても上の空だった。ロックプリンスは穴人気になったが27頭中11着。

 『週刊現代』(以下、『現代』)で山口さんに「競馬真剣勝負」を連載してもらった。毎週ゲストを呼んできて馬券対決し、それを山口さんに書いてもらうという豪華なものだった。

 ダービーの週には巨泉さんにも登場してもらったが、ダービーでは単勝一点しか買わなかった。山口さんは「書きようがない」とため息をついていた。もちろん狙った馬は来なかった。

 ホテルオークラが定宿だった。よくTBSの番組が終わるのを待って赤坂で飲んで銀座に流れた。

 途中で「11PM」の司会をやりに行ったことが何度かある。ついていってスタジオで見ていた。かなり飲んでいたと思うが乱れはまったくなかった。

 初めての仕事は『現代』で連載してもらった「巨泉のゴルフ」。当時の私はゴルフに関心も知識もまったくなかった。記事中の写真はティーショットからバンカーショットまで、すべてフォロースルーの決まった瞬間のものばかり使ってどやされた。「元木、少しは勉強しろよ」。いまなら少しわかるが。

 「オレはテレビの人間とは付き合わない」が口癖だった。軽薄だと批判されたこともあったが、猛烈な勉強家だった。

 競馬、麻雀、釣り、ゴルフ、何でも基本を徹底的に勉強してから始める人で、アメフトも英語の解説書を熱心に読み込んでいた。

 1994年、私が『現代』の編集長のときコラム連載を依頼した。二つ返事で引き受けてくれてこう言った。

 「尊敬している山口瞳さんの『男性自身』(『週刊新潮』)を抜くぐらいの長期連載にしたい」

 その時私がつけたタイトルは「内遊外歓」。喜んでくれた(後に「今週の遺言」と改題)。

 この連載を愛読していた菅直人氏からの電話で参院選に出馬し当選したが、半年で辞めてしまった。組織の歯車になれる人ではなかった。

 ある年、山口さんの『男性自身 卑怯者の弁』(新潮文庫)から引用した文章を年賀状に書いて送った。大変喜んでコラムに「元木からこんな年賀状が来た」と紹介してくれた。以下はその文章。

 「麻雀をやっていて凄く良い配牌のときに『夢ではないか』と叫ぶ人がいるが、憲法9条を知ったとき、私は『夢ではないか』と思ったものである。こんな幸運があっていいのだろうか。命をかけなくていいだけではなく、日本国が私の命を守ってくれると約束したのである。(中略)

 私は小心者であり臆病者であり卑怯者である。戦場で、何の関係もない何の恨みもない一人の男と対峙したとき、いきなりこれを鉄砲で撃ち殺すというようなことは、とうてい出来ない。『それによって深い満足を得る』ことは出来ない。卑怯者としては、むしろ、撃たれる側に命をかけたいと念じているのである

 巨泉さんの還暦祝いの席だった。フライデー編集部にたけし軍団が乗り込んだ「たけし事件」以来、講談社との関係が途絶えていたビートたけしさんを私に紹介してくれた。

 「二人でうまくやれよ」。和やかに飲みながら、日を改めて会いましょうとなった。だが、その直後、彼がバイク事故を起こしてしまったため、そのままになってしまったのが残念だ。

 何度か千葉の自宅に遊びに行ったことがある。庭先がゴルフ場の何番ホールかのティーグラウンド。朝早く起きて何発か打つことがあるという。「気持ちいいぞ」と巨泉さん。

 最後に訪ねたのは数年前になる。何度目かのがんと闘っていたが思ったより元気で、ワインをたらふく飲み、カラオケで演歌からジャズまで歌い合った。

 ゴルフは生涯の友だった。奥さんはだいぶ後になってから始めた。「この間カミさんにオーバードライブされたよ」と嬉しそうに言っていたのを思い出す。

 趣味を極め、セミリタイアして年の3分の2を気候のいい海外で暮らし、がんとの闘いを決して諦めることはなかった

 だが巨泉さんが望んだ山口さんを超えることはできなかった。『現代』の連載は930回で無念の最終回。最後に気力を振り絞ってこう書いた。

 「選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい」

 寿々子さんがこんなコメントをメディアに出した。

 「皆様方も良くご存知のように夫は自他共に許す“わがまま”と言われ、痛い事やつらい事、待つ事、自分の意に染まない事は“避けて通る”というわがままでした。

 そんな夫が2005年に胃がんを手術、2013年には第4期の中咽頭がんで3度の手術と4回の放射線治療、昨秋には2度の腸閉塞と手術を、そして4月の在宅介護の鎮痛剤の誤投与と続いても、12日までの約11年間の闘病生活を勇敢に戦って来ました。特に4月からの3ヶ月間は死を覚悟し、全てを受け入れ、一言の文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢をしてくれました。(中略)

 そして最後は眠ったまま静かに旅立ちました。

 たぶん、若くして亡くなった大好きな母親の迎えを受けての旅立ちだと思います」

 永さんの死と参議院選の結果は本人には伝えなかったと聞く。

 巨泉さん、いい思い出をいっぱい残してくれてありがとう。そしてさようなら。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 かって人気を集めたアイドルが、年月を経てただの人になってしまうことはよくある。斎藤佑樹もそのひとりなのだろうか。大橋巨泉さんと仲のよかった永六輔さんは、放送作家としてもタレントとしても大活躍し、作詞家としても「上を向いて歩こう」などの大ヒット曲を書いた「天才」である。その永さんも巨泉さんの亡くなる少し前に息を引き取った。世の中がどんどん寂しくつまらなくなってくる。こんな日本に誰がした!

第1位 「天皇陛下『生前退位の意向』の波紋」(『AERA』7/25号)
第2位 「永六輔『83歳の大往生』」(『週刊文春』7/21号)
第3位 「斎藤佑樹 汚れたハンカチ」(『週刊文春』7/21号)

 第3位。ハンカチ王子と騒がれた日ハムの斎藤佑樹(28)の噂をとんと聞かなくなったが、今週の『文春』が「汚れたハンカチ『ポルシェ800万円』『高級マンション』おねだり」と巻頭でやっている。
 斎藤はプロ入り5年で14勝。ライバル視された田中将大は今や大リーグヤンキースのエース格である。プロ入りしてこれほど明暗が分かれた選手も珍しいのではないか。
 その斎藤だが、私生活では出版社社長にたかって高級車やタワーマンション暮らしだというのである。
 その出版社とは『週刊ベースボール』などを出しているベースボール・マガジン社。ここは1946年に故池田恒雄氏が創業した。野球やプロレスなど多くの競技専門誌を出し、スポーツ誌王国を築いた老舗出版社である。
 現在そこの社長を務めるのは息子の哲雄氏で、斎藤にポルシェを提供した人物だそうだ。

 「去年の春先に、社長と斎藤はポルシェ銀座店を訪れました。シートの仕様や色をカスタムしたそうです。夏に納車されると、斎藤の父親が受け取りに来ていました」(ベーマガ社の社員)

 斎藤は池田社長にこうねだったという。

「鎌ケ谷の二軍練習場に通う車が欲しい。札幌には車があるけど東京にはないから。池田さんなら、なんとかなるんじゃないですか」

 斎藤がほしがったのはポルシェSUVタイプの最高級車だったが、価格は2000万円を超えるものもあるのでマカンになったそうだ。
 ベーマガ社の関連会社でリースして、斎藤に又貸ししているという。
 1年目のオフには、池田社長が自宅として使っていた月島の高級タワーマンションに住まわせてもらっていたそうだ。
 池田社長は『文春』の取材に対して概ね認めているが、斎藤は商品価値があるから社員たちも納得しているという。
 だが、実はベーマガ社の経営は火の車だというのである。13年には経営悪化から30名超がリストラされ、今年1月には本社ビルを売却。貸しビルに移ったがそれでも経営は好転せず、今年1~5月期は1億円を超える赤字を出しているという。池田家の関係者はこう嘆いている。

 「恥ずかしい限りですが、哲雄は本当のことをあまり言わないので、ポルシェのことは初耳ですが、斎藤君の人間性を疑いますよ。ベーマガは王(貞治)さんや長嶋(茂雄)さんにもお世話になりましたが、物をねだられたことはありません。初代の恒雄社長は『スポーツマン精神を忘れるな』とよくおっしゃっていました。社員をないがしろにして選手にそんなことをしてはいけません」

 ボルシェを受け取りに出向いた斎藤の父親・寿孝氏はこう話す。

 「別にお金が無くてタカリに行ったわけではなくて、安易な気持ちだったんだろうと思います。ただ子供たちから羨望の目で見られている職業ですから、色々な面で誤解を受けるようなことがあれば舛添さんになってしまいますから。すみませんでした」

 ハンカチ王子から球界の舛添か。今の斎藤の球速では中継ぎでも押さえることは難しいだろう。高校野球の季節である。甲子園を沸かせたヒーローがプロに入って鳴かず飛ばずになるケースはいくらでもある。
 大事なのは、その辛い中で何を学び次のステップにしていくかということであろう。斎藤には酷なようだが、そうした姿勢も伺えないようだ。

 第2位。永六輔さんが亡くなった。享年83。『文春』で次女の麻里さんが「すごく粋で鯔背(いなせ)でカッコいい父でした」と語っている。
 鯔背なんて久しぶりに聞いた。「デジタル大辞泉」によると「粋で、勇み肌で、さっぱりしているさま」。夢は鳶になることだった。
 昔読んだ『大往生』(岩波新書)を引っ張り出して読み返した。出版は1994年だから、私が48のときだ。その時はさしておもしろいとは思わなかったが、年齢が本に追いついたということだろう。こんな川柳がある。

 「人生は紙おむつから紙おむつ」。民俗学者・宮本常一ゆずりの市井の人たちの言葉が胸に響く。
 「俺は歳をとったという不安もあるよ、でも歳をとっていないんじゃないかという不安もあるねェ」。わかるなこの気持ち。
 「今はただ小便だけの道具かな」。名人三遊亭圓生の句である。老老介護の難しさを訴えたものも多い。
 「天涯孤独っていう人がいるじゃない、あぁいう人がうらやましいわ。呆けた両親を見ていると、老人とかかわらないで一生が終われるなんて最高よ!」

 本の最後にある「弔辞──私自身のために」で、自分のことを「マスコミの寄生虫」と自虐的に言いながらこう続ける。

 「そんな寄生虫の永さんが、人間らしく過ごしたのはご家族に囲まれていた時だけではないでしょうか。旅暮らしの中で、一番好きな旅はと聞かれ、『我家への帰り道』と答えた永さんです」

 戦後のテレビを作った真の天才と呼ぶにふさわしい人だった。
 永さんとも仕事をしたであろうザ・ピーナッツの双子の妹、伊藤ユミさんも亡くなってしまった。姉のエミさんはすでに亡い。「シャボン玉ホリデー」の最後に歌う「スターダスト」、「ウナ・セラ・ディ東京」もいいが私は「大阪の女」が好きだ。
 中学生のころ、吉永小百合とザ・ピーナッツ、どちらが好きかで友達ととっくみあいのケンカをしたことも懐かしい思い出である。

 第1位。「天皇が生前退位」するという報道が大きな話題になっている。NHKが7月13日にスクープした。NHKは以下のように報道している。

 「天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る『生前退位』の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。数年内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。
 天皇陛下は、82歳と高齢となった今も、憲法に規定された国事行為をはじめ数多くの公務を続けられています。そうしたなか、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る『生前退位』の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。天皇陛下は、『憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ』と考え、今後、年を重ねていくなかで、大きく公務を減らしたり代役を立てたりして天皇の位にとどまることは望まれていないということです。
 こうした意向は、皇后さまをはじめ皇太子さまや秋篠宮さまも受け入れられているということです。天皇陛下は、数年内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。これについて、関係者の1人は『天皇陛下は、象徴としての立場から直接的な表現は避けられるかもしれないが、ご自身のお気持ちがにじみ出たものになるだろう』と話しています」

 これが本当なら大スクープだろう。各社も後追いし、皇室典範の改正まで論議にのぼっているのだ。
 しかし、宮内庁はすぐに「そのようなことはない」と否定したし、いくつかの新聞でも「天皇陛下ご自身は早期退位の希望を持たれていない」と報じていることから、真偽のほどが取り沙汰されている。
 天皇もお年だから、公務を控えたり、場合によってはどこかの時点で退位ということもあるのかもしれないが、参議院選直後ということもあり「政治的なリーク」があったのではないかという見方も出てきているのだ。
 『AERA』で元外務省分析官の佐藤優(まさる)氏はこう分析する。

 「天皇制という国家の民主的統制の根幹にかかわる重要なテーマについて、情報源が明らかでない報道によって世論が誘導されてしまうことは、非常に問題が大きいと思います。このような問題は、宮内庁長官や内閣官房長官の会見できちんと表明されなければ動いてはいけない。しかし結果として皇室典範の改正に向けた動きは強まっていくでしょう」

 ネットではこの報道が出た後、いろいろな意見が飛び交っているが、その中でもおもしろい見方をしている「LITERA」(7月14日)を紹介しよう。

 「(中略)宮内庁関係者の間では、今回の『生前退位の意志』報道が、安倍政権の改憲の動きに対し、天皇が身を賭して抵抗の姿勢を示したのではないか、という見方が広がっている。
 というのも、生前退位こそが、今、安倍政権や日本会議が復活を目指している大日本帝国憲法の思想と真っ向から対立するものだからだ。
 実は、生前退位というのは江戸時代後期までの皇室ではしばしば行われていた。ところが、明治になって、国家神道を国家支配のイデオロギーと位置づけ、天皇を現人神に仕立てた明治政府は、大日本帝国憲法と皇室典範によって、この生前退位を否定、天皇を終身制にした。『万世一系』の男性血統を国家の基軸に据え、天皇を現人神と位置づける以上、途中で降りるなどということを許すわけにはいかない。終身制であることは不可欠だったのだ。
 つまり、明仁天皇はここにきて、その明治憲法の真髄とも言える終身制をひっくり返し、真逆の生前退位を打ち出したのである。天皇が生前に退位するということは、天皇は国家の『役職』にすぎないということを示すことだ。役職だから、時期が来たら退位する。役職を果たせなくなったら交代する。もし、これが制度化されたら、天皇をもう一度、現人神に担ぎ上げ、国民支配のイデオロギーに利用することは難しくなる。そのために、天皇はこの『生前退位の意志』を明確にしたのではないか、というのだ」

 その一方で、天皇の生前退位を改憲に結びつけようという安倍政権のリークではないかという見方もある。
 これについては天皇ご自身が自らの言葉で会見することが一番いいのであろう。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   


元木昌彦(もとき・まさひこ)
金曜日「読んだ気になる!週刊誌」担当。1945年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社に入社。『FRIDAY』『週刊現代』の編集長をつとめる。「サイゾー」「J-CASTニュース」「週刊金曜日」で連載記事を執筆、また上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで「編集学」の講師もつとめている。2013年6月、「eBook Japan」で元木昌彦責任編集『e-ノンフィクション文庫』を創刊。著書に『週刊誌は死なず』(朝日新書)など。
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