古くから多様な人々が集まり暮らしてきた京都には、五つの葬送地があり、「五三昧(ごさんまい)」と呼ばれていたという。この名称は墓所が「三昧場(さんまいば)」と呼ばれていたことに由来する。「五三昧」は平安期頃から葬送の地として定着し、それぞれ「煙亡(オンボウ)」という墓所の管理をする聖(ひじり)が居住していたそうである。

 「五三昧」があったのは、次の五つの地域であるとされる。一つは、愛宕山(あたごやま、右京区)の麓に広がる北嵯峨(きたさが、右京区)の「化野(あだしの)」である。当地に今もある「化野念仏寺」では、往古より葬られた人のお墓である石仏や石塔が境内を埋め尽くし、その数は8000体にのぼるといわれている。さらに、この寺の奥には、霊を慰めるためにつくられた「愛宕(おたぎ)念仏寺」もある。

 次の葬送地は、京都最大の「鳥辺野(とりべの)」である。ここは清水(東山区)に近い五条坂一帯にあり、親鸞聖人の墓所として知られる大谷本廟(おおたにほんびょう)を一部とし、現在も広大な霊園になっている。

 続いては、東寺(南区)の西側に広がる場所にあった狐塚(きつねづか)。現在は多くが宅地になっており、一部に幕末維新の薩藩都城六勇士の墓所などが残されている。また、この狐塚から3 kmほど北上したところにある「西院(さいん)」も、「五三昧」の一つであった。「西院」という地名は、伝統的な読みは「さい」であるが、現在は文字通りに「さいいん」と読むことが一般的になっているようだ。

 最後は北野天満宮(上京区)の東北に位置する「蓮台野(れんだいの)」である。「蓮台野」は北区紫野(むらさきの)の丘陵地、船岡山(ふなおかやま)を起点に、西側の千本通(せんぼんどおり)や紙屋川(かみやがわ)に沿って広がる野であった。西陣の中央を走る千本通(せんぼんどおり)の一部は、かつて平安京から「蓮台野」へ死者を送る野辺送りの道であったとされる。ちなみに「千本」という名称は、一説には901(延喜元)年に太宰府へ左遷され、その地で亡くなった菅原道真を供養して、この道沿いに千本の卒塔婆(そとば)を立てたという伝説に由来している。


現代の鳥辺野の様子。写真は大谷本廟の裏で、右奥に見える朱色の建物が清水寺三重塔。山裾に沿って左右の奥へ広大な墓所が広がっている。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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