今でもはっきり覚えている。85年、清原和博と桑田真澄のKKコンビが出場した最後の夏の甲子園だった。東海大山形との試合は大会史上初の毎回得点となる1試合最多の29得点。最多安打32、最高打率5割9分3厘、最多得点打27、最多塁打45といずれも大会記録を塗り替えた試合だった。

 超高校級などという陳腐な表現では表せないすさまじい打棒だった。卒業後、清原は西武ライオンズ、桑田は巨人に入団してともにプロ野球界屈指のバッターとピッチャーになった。

 前田健太、福留孝介が後に続き、ともにメジャーリーグ入りを果たしている。吉村禎章(さだあき)、立浪和義、松井稼頭央(かずお)などもPLの卒業生である。

 PL学園高校は1955年にPL(パーフェクトリバティー)教団がつくり、硬式野球部は翌年創部。6年目の1962年には甲子園初出場を果たしている。

 春夏7回も優勝した輝かしい歴史をもつPL学園が、今年の夏の地区大会で初戦敗退して野球部が廃部になるなど、誰が予想しただろうか

 『週刊ポスト』(8/5号、以下『ポスト』)は、公式戦未勝利のままグラウンドを去ったPL最後の野球部員たちの姿を追ったノンフィクションを掲載した。ライターは柳川悠二氏である。

 12人の中には、かつては当たり前だった「特待生」はいない。いわば普通の高校生である彼らはこの1年、「超強豪校の最後の部員」の看板を背負う重圧と闘い続けてきた

 「夏の大阪大会初戦で東大阪大柏原に敗れた瞬間──即ち1956年創部のPL学園野球部が60年の歴史に幕を閉じた瞬間から、すでに15分が経過していた。
 試合後、ベンチ前で真っ先に報道陣に囲まれた3年生の記録員・土井塁人の周りには、もう誰もいなくなっていた。労(ねぎら)いの言葉をかけようと近づくと、土井の方が先に口を開いた。
 『史上最弱と言われながらも、選手達は精一杯戦ってくれました』」(『ポスト』)

 土井は他のナインより1歳年上だ。1年時に血液のがんの一種「急性リンパ性白血病」を患い、約半年間入院生活を送ったという。

 医師からは骨髄移植を勧められたが、抗がん剤治療を選択した。学園の「退部して勉強に専念するなら進級は可能」という提案も拒否して留年を決めたのは、大好きな野球を続けるためだった。

 最上級生となり、規定によって公式戦に出場することはできないが、PL史上最も長い時間をグラウンドで過ごした部員となった。

 普通の練習ではコーチのような存在でもあり、試合中は記録員を務めながら野球経験のない監督を助ける参謀的役割を担っていた。土井はこう続けた。

 「勝たせてあげることができなくて申し訳ないです」

 「その時である。往年の高校野球ファンなら誰もがそらで歌えるPL学園校歌がスタンドから聴こえてくる。
♪ああPL PL
♪永遠の学園 永遠の学園

 土井は黒土にうずくまって嗚咽を漏らし、しばらくして次の言葉を絞り出した。
 『せめて一回だけでも……一回でいいから、仲間と校歌を歌いたかった』
 昨秋と今春の大阪大会で、いずれも初戦敗退している。(中略)
 まずは1勝して『校歌を歌う』のが現実的な目標だった。(中略)
 2014年4月に入学した3年生は入学当初から多くの困難に直面していた。
 一つ上の世代までは学園が積極的に選手勧誘を行い、特待生を受け入れていたものの、62期生には特待生が一人もいない。全員が一般入試で入学してきた生徒だ。
 野球経験のある監督もいなかった。12年に暴力事件が発覚し、当時の監督が辞任。以降は2代に渡って学園の校長が監督を兼任した。(中略)
 14年10月、学園は『15年度からの部員募集停止』を発表し、16年夏の『休部』が規定路線となっていった。
 62期生が最上級生となって迎えた昨秋の大阪大会は汎愛高校に敗れた。延長11回表に勝ち越しながら、逆転サヨナラ本塁打を浴び、全盛期には考えられなかった地方大会での公立高校への敗北。そのことは彼らの負い目となった」(同)

 そして迎えた最後の夏。チーム状況は上向いてきていたという。早稲田摂陵に9対1で勝った。

 「私学大会の次の相手は履正社。さすがに春の大阪王者には、場外に消えた2本を含む4本塁打を浴びて大敗を喫したものの、貧打に泣いていたチームが強豪から3点を奪った。
 その日の試合後のことだ。バスに乗り込もうとしていた部員の前に、ひとりの男性が現れた。
 『26期の主将でした』
 そう自己紹介したのは、現在、履正社医療スポーツ専門学校で野球部を指導する森岡正晃である。最後の部員を前に、森岡は涙ながらに語った。
 『ゴメン、泣き虫やからね。今も野球人として指導ができているのはPLで学んだおかげです。12名で戦っている君らを見たら、感動と勇気をもらいました。最後までしきってしきってしきり通せば、絶対に神様が見捨てることはない。悔いのない夏にしてください』」(同)

 しきるとは、PLのナインは打席に入る直前や守備位置に就く前に、ユニフォームの胸のあたりを握りしめる。80年代の黄金期、野球少年たちがこぞって真似をしたこの所作は、学園の母体であるPL教団における「おやしきり(祖遂断)」という宗教儀式で、部員たちが握っているのは首からぶら下げたアミュレットと呼ばれるお守りだ。心の中で「お・や・し・き・り」と唱え、普段の力が発揮できるように祈りを捧げるそうだ。

 野球部は創部以来PL教団の広告塔的役割を色濃く担ってきた

 「『人生は芸術である』を処世訓に掲げた2代教主・御木徳近は、野球を愛し、野球で甲子園を目指すことが世界平和に通じると説いた。78年夏の甲子園で、逆転に次ぐ逆転で勝ち上がったことから、『逆転のPL』が野球部の代名詞となった。たとえリードされた展開でも、しきり抜いて、一プレーに集中する。そうして初めて全国制覇を達成した。
 83年に徳近が鬼籍に入った直後、入学したのが桑田真澄、清原和博のKKコンビだ。5季連続で甲子園に出場し、2度の全国優勝を達成。同時期、教団は最盛期を迎え、公称信者数は240万人に達した」(同)

 全国の信者のネットワークを駆使して、有望選手の情報を集め、セレクションを行ったのもこの頃だ。

 初優勝した時の捕手で元阪神の木戸克彦氏はこう話している。

 「プロ顔負けの練習環境がPLにはあった。グラウンドの横に寮を作ったのも、当時は全国の学校の先駆けだった。その伝統に誇りを持っているけれど、悪いことも続けたからね……」

 「01年には上級生が下級生をバットで殴り6ヶ月の対外試合禁止処分に。08年には当時の監督が部員に暴力を振るって解任される事件も起こった。13年2月、やはり上級生による暴力事件が発覚して、6ヶ月の対外試合禁止が下る。この件が廃部騒動の引き金となった。
 事件が起きる度に、監督を交代させ、学園は再発防止策を講じた。野球部を含む体育コースの生徒を一般の生徒と同じ校舎に移し、暴力事件の温床といわれた、1年生が上級生の世話をする付き人制度も2000年代前半に廃止した。理不尽なまでに存在した“鉄の掟”を少しずつ排除していったものの、根本的な解決にはならなかった」(同)

 野球部の未来を決める学園理事会や教団幹部からすれば、PLの悪評を振りまく野球部の体質に業を煮やしたのだろうが、野球経験のある人材を監督に据えず、部員やその保護者たちに詳しい説明をしないようなやり方をした学園側に柳川氏は疑問を呈する。

 「私は教団信者の激減および学園の生徒数減少も、廃部問題と大きく関係があると指摘してきた。全国に400あった教会は今では半数以下になった。信者が減れば、その子供が通う学園の生徒数も大きく減少する。
 15年度の入試では、外部受験者が28人しかいなかった。かつてのマンモス校の影はない。硬式野球部を続けられる体力が、今の教団および学園にないのが実情である。
 加えて私は野球部の命運を握るのは、病床にある3代教主・御木貴日止(たかひと)に代わって教団内で大きな発言力を持つ美智代夫人であるとも報じてきた。野球部のOB会が野球経験のある監督の早期就任と部員募集の再開を求める嘆願書を提出していたが、それが彼女の手元に届いたかは怪しい。(中略)
 野球部のOB会幹部が奥正直克部長と川上祐一監督と面談し、OBの中で根強く噂されていた『来年度春からの生徒募集再開』が不可能であることを告げられた。OB会と学園および教団との交渉が決裂した瞬間だった」(同)

 学園の発表した休部は事実上の廃部だった。

 大阪大会では部員のうち3人がケガを負い、試合に出られるのは9人ギリギリだった。試合はこう進んだ。

 「4対5で迎えた7回表。藤村がバットで借りを返した。レフトに2点本塁打をたたき込み、6対5と試合をひっくり返したのだ。春先までは、先制してもいつの間にか勝ち越しを許している『逆転されるPL』だった62期生が、土壇場で往年の『逆転のPL』を再現してみせた。
 スタンドも沸き立った。しかし、8回に再び逆転を許し、12人の夏は終わった」(同)

 私が編集者に成りたての頃、当時有名だった「PLの花火大会」に行ったことがあった。夜空に打ち上げられる大輪の花火を見ていて、ふと横を見ると女優の松原智恵子が座って微笑んでいた。

 私にではない。彼女と結婚したフリーの記者に向けての微笑みだった。花火よりも儚かったが、きれいだったな、松原智恵子。

 毎年夏になると、甲子園で大活躍したPL学園の野球部員たちの勇姿と花火のことを思い出す。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 スキャンダルは週刊誌の華である。他人の不幸は蜜の味。週刊誌がここまで長らえたのは日本人の、良い言い方をすれば好奇心旺盛、悪く言えば覗き見趣味のおかげであろう。
 だが、時と場所をわきまえずスキャンダルを出せばいいというものではない。今週の都知事選に出ている鳥越俊太郎氏に関する『週刊文春』の記事は、鳥越氏にかなりのダメージを与えたが、私には疑問の残る記事であった。『文春』には厳しい言い方になるが、こうしたことが週刊誌の評価を貶めることにならないか、私は心配である。

第1位 「天皇の『覚悟』と『宮内庁の五人組』」「小林よしのり×所功『安倍首相よ、天皇陛下の悲鳴が聞こえているか?』」(『週刊ポスト』8/5号)/「『天皇陛下』生前退位に12の大疑問」(『週刊新潮』7/28号)
第2位 「巨人菅野が『4代目ミスマリンちゃんをお持ち帰り』撮った!」(『フライデー』8/5号)
第3位 「鳥越俊太郎『女子大生淫行』疑惑 被害女性の夫が怒りの告白!」(『週刊文春』7/28号)

 第3位。今週は都知事選の『文春』の報道を取り上げ、記事の内容はもちろんだが、こうした記事を選挙期間中にやることの是非を含めて考えてみたい
 各メディアによる都知事選中盤の調査結果が出てきた。それによると小池百合子氏が優勢、元総務相の増田寛也氏がこれを追っていて、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は苦戦しているようである。
 ワイドショーなどでは、鳥越氏の苦戦は『文春』の記事の影響があるとレポーターたちは見ているようだ。
 そうだとしたら、『文春』は小池、増田両氏のスキャンダルも報じるべきではないか。どんな人間でも叩けば埃の一つや二つは出る。ましてや政治家を長くやってきたのならと、私は考えてしまう。
 選挙中でありながら特定候補のスキャンダルだけを流すのは、ジャ-ナリズムのあり方としていかがなものか。『文春』側は、小池氏の政治資金の問題も増田氏の岩手県知事時代の県政の問題点も報じているというのだろうが、インパクトが違いすぎる。
 『文春』の記事を紹介する前に『新潮』(7/28号)について紹介しておこう。『新潮』は鳥越氏の毎日新聞記者時代、イランのテヘラン支局長として赴任したときに女優の岸惠子と噂になったという程度の話である。
 だが、『文春』のほうは「女子大生と淫行」していたというのだから穏やかでない。
 内容を簡単に記せば、2002年夏、大学2年生だった女子学生A子さんに「別荘に来ないか」と誘い、富士山麓の別荘で酒を飲みながら、強引にキスを迫ったという。結局、未遂に終わったのだが、帰り途でも彼女をホテルへ誘ったというのである。
 古い話がなぜ蒸し返されたのかというと、A子さんには当時付き合っている彼氏がいた。心に深い傷を負ったA子さんから話を聞いた彼氏が怒って鳥越氏を呼び出し、鳥越氏は「反省している」「もうテレビからは引退する」と言ったというのだ。
 その後、彼氏とA子さんは結婚している。鳥越氏のことは思い出さないようにしていたのだが、今回の出馬で、彼はこう覚悟したという。

 「私がこうして告白したことで、妻はまた苦しむでしょう。それでも、あの男が都知事になることだけは許せません」

 当然、鳥越氏は「事実無根」だとして、名誉毀損と公職選挙法違反の疑いで東京地検に告訴状を提出した。『文春』側は「記事には自信を持っている」と答えている。
 『文春』は参議院選中にも、出馬した元共同通信記者について、経歴への疑惑とカネがらみの問題を報道して、その人間から刑事告発されている。
 『文春』に書かれていることが真実かどうか、裏に政治的な背景があるのかどうか、私にはわからない。だがこの記事は「選挙妨害に当たる」のではないだろうか。
 『文春』はこれを掲載するに当たって「これを報じることは広く公共性、公益性に資するものであると小誌は考え」たと文中で書いているが、裁判になってこの主張が認められるとは考えにくいと、私は思う。
 彼の名前を一躍有名にしたのは宇野宗佑首相(当時)の三つ指愛人問題だが、それを告発した元神楽坂芸者も鳥越さんに対して不信感を持っていると、私に昔、話していた。しかし、76年も生きてくればいろいろなことがある。
 人一倍オシャレで、モテる鳥越さんなら女のほうが放っておかないであろう。そんな女性の中で、鳥越さんに複雑な思いを抱いている女性が何人かいるかもしれない。
 だが今回のケースは、記事を読む限り、『文春』の言うような「日本の首都を預かる可能性のある人物の資質を厳しく問う内容」だとは思えないのだ。また行為は未遂に終わったと書いているのに、「淫行」には「疑惑」と付いてはいるが行き過ぎたタイトルではないのか
 タレントの橋下徹氏が「この程度で逃げ回っているなら知事になる資格なし」とツイートしたそうだが、無責任な発言だ。
 選挙中に『文春』と「淫行した、しない」で喧嘩したら、鳥越氏はさらなるイメージダウンになるから、やりたくてもできないはずだ。
 この上は何としてでも都知事に当選して、『文春』新谷編集長とテレビカメラの前で決着をつけたらどうか。
 裁判になれば、私は、元共同通信記者のケースは公職選挙法ギリギリの許容範囲だと思うが、鳥越ケースは『文春』側に厳しいものになると思う。だがそのときには都知事選はとうに終わっている。

 それにしても今回の有力候補3人の魅力のなさ、政策のなさはどうしたことだろう。

 「もっと安心、もっと安全、もっと元気な首都・東京」(小池氏)
 「あたたかさあふれ、お年寄りも子供も安心できる東京の実現」(増田氏)
 「あなたに都政を取り戻す」(鳥越氏)

 この候補者たちは都知事になって何をやりたいのか、何をやってくれるのかがわからないのでは投票のしようがないではないか。
 テレビ討論でも、政策以外の「小池氏は私のことを病み上がりだと言った」(鳥越氏)などという些末なことで言い争っている始末で、選挙民を呆れさせている。
 選挙後に、史上最低の都知事選といわれることは間違いないと思う。

 第2位。今年は広島に独走を許している巨人だが、そのなかで唯一頑張っているのがエースの菅野智之(26)である。
 なかなか甘いマスクの好男子だから寄ってくる女性は多いだろうが、今週の『フライデー』がグラドルと「お泊り愛」していると報じている。
 6月下旬のある夜、菅野が東京・港区の路上でスマホ片手に歩いていて、「いま一番モテるオシャレ焼き鳥」と喧伝される人気店『N』に入っていったという。
 『フライデー』は中には入らなかったようだ。約2時間半後、菅野が一人で店から出てきた。そして誰を待つこともなくサッとタクシーを拾って乗り込んだ。巨人の大エースが一人メシ? そう思ったフライデー記者の前に、『N』から水色のスカートが爽やかな美女が現れたそうである。

 「鼻筋の通った意志の強そうなその女性は、菅野が歩いたコースをなぞり、同じ場所で右腕を上げているではないか!
 美女を乗せたタクシーは、菅野を追うように真っ直ぐ加速。スイスイと行き過ぎて、途中、信号待ちをしている菅野のタクシーと並ぶ場面もあったが、その後も付かず離れずしながら、しばらくランデブーを続けた」(『フライデー』)

 彼女は菅野の家の20mほど後方でタクシーを降りた。

 「菅野が玄関に入ってから、遅れること数秒──タクシーを降りた美女は、キョロキョロと周囲を“牽制”しながら、件の一軒家を訪問するのだった。この息の合った“連係プレー”を見る限り、二人が浅からぬ仲であることは明らかだろう。
 美女が菅野邸から出てきたのは、訪問から15時間が経過した翌日正午過ぎ。菅野が練習のため東京ドームに向かった実に1時間半も後だった」(同)

 菅野の信頼厚きこの女房役はいったい何者かと、『フライデー』が取材を進めると、野球好きなグラドルとして一部で知られる澤井玲菜(29)であることが判明したそうだ。

 「いまはグラビアより、パチンコ『海物語』シリーズのイメージキャラ『4代目ミスマリンちゃん』としての活動がメインみたいです」(グラドル仲間)

 今季は防御率1点台と絶好調のウラには、勝負師たちが崇(あが)める「幸運の女神」ミスマリンちゃんがいたというのである。
 写真で見る限り、『フライデー』の言うように意志の強いきつそうな(失礼!)女性である。それに年上。一見気の弱そうな菅野には、こういう女性のほうがいいのだろうか。

 第1位。さて今最大の話題は、NHKがスクープした「天皇の生前退位」問題であろう。新聞を始め週刊誌まで挙(こぞ)って、もし「生前退位」するならば、どれだけのハードルがあるのかを細述している。
 だが私は、このニュースが正真正銘のスクープなのか、そうだとすればなぜ今なのかという疑問がある。新聞の中には「天皇陛下早期退位望まれず」と報じているところもある。
 それについて比較的詳しく報じてくれているのが『ポスト』である。『新潮』の記事は付録。
 まずスクープの真偽については、「情報源は宮内庁の最高幹部クラスかそれに近い筋だろう。相当の自信がなければこんな報じ方はできないし、実際、宮内庁の対応を見ていても“本気の否定”ではないことがよくわかる」(大手紙関係者)
 こうしたことからもそれがうかがえる。宮内庁は常日頃から皇室関連報道を細かくチェックしていて、事実と異なる場合には当該メディアに厳重抗議した上で、即座にそれを同庁のHPで公開するが、今回、宮内庁はNHKに抗議をしていないのだ。
 元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下普司氏は、今回の報道の背景には様々な思惑がある可能性ありと前置きしてこう話している。

 「天皇陛下が生前退位なさるには皇室典範や関連法の改正が必要です。しかし、憲法4条で〈天皇は国政に関する権能を有しない〉と定められているので、法改正が必要な案件について、宮内庁が“陛下のご意向が示された”ということを公式に認めると、憲法違反の恐れがあります。
 そうした状況の中で、宮内庁サイドが“公式には発表できないが、なんとかして陛下のお気持ちを伝えたい”と考え、NHKに報道させるかたちになった可能性はある。否定したのに抗議しない対応も“宮内庁側とNHKとの間で事前に話ができていたのでは”と勘ぐられても仕方ない経緯でしょう」

 『ポスト』によると、この数か月間、宮内庁では「生前退位」をめぐって最高幹部が会合を重ねていたという。

 「5月頃から風岡長官と山本次長という庁内のトップ2に、皇族の身辺のお世話などを担当する侍従職の最高幹部である河相周夫(かわい・ちかお)・侍従長と高橋美佐男・侍従次長、それに皇室制度に詳しいOB 1人を加えた5人が、定期的に集まって検討を重ねていたといわれています」(宮内庁関係者)

 いずれにせよ、NHKの報道は宮内庁内部で進められた慎重な議論が下敷きにありそうで、それは他メディアの報道からもわかるという。
 14日の各紙の朝刊一面を見比べると、他紙はやや曖昧な表現になっているが、朝日新聞だけが見出しで「皇后さまと皇太子さまに伝える」と断定している。

 「朝日新聞だけは、NHKのネタ元に近い、中枢近辺の相当確かな筋から裏が取れているということだろう。そうでなければ、あの書き方はできない」(皇室問題に詳しい大手紙OB)

 その裏付けとはこうだという。数年前から天皇、皇太子、秋篠宮は月一回のペースで皇居に集まって「三者会談」を行なっており、皇室の未来などについて話し合いを重ねていることが知られているそうだ。

 「会談には基本的に宮内庁長官が同席しますし、皇太子さま、秋篠宮さまも信頼する宮内庁幹部には、そこで話題に出たことをお話しになるでしょう。メンバーは相当限られてくるが、この会談の内容を把握している筋が情報源となっているのではないか」(別の宮内庁関係者)

 それに7月13日は、官邸の事務方トップである杉田和博・官房副長官が翁長雄志(おなが・たけし)知事との会談などのために沖縄入りしていたタイミングだった。ということは官邸は、この報道が出ることを把握していなかったのではないかと『ポスト』は言うが、NHKの籾井(もみい)会長と安倍首相の関係から見ればそれはあり得ないと思う。
 だが、天皇の生前退位という考えは、安倍官邸に大きな衝撃を与えたに違いない。
 皇室ジャーナリストの神田秀一氏はこう言う。

 「82歳になった天皇陛下は03年に前立腺がんの手術を受け、12年には狭心症と診断されて冠動脈のバイパス手術を受けています。そうしたなかで、悠仁(ひさひと)親王の世代には他に男性皇族が1人もいないという状況があり、皇室の未来を考える上では女性宮家創設といった課題が議論されて然るべきですが、棚上げされてきました。
 結果として、今回のNHKの報道後、菅官房長官が会見で女性宮家の創設の検討に言及するなど、棚上げされてきた皇室の未来にかかわる議論が動き出そうとしています

 そうした流れを作り出そうとする思いが天皇を取り巻く人たちにあって、今回の報道となったのだろうか。
 女性宮家創設には安倍首相は否定的であるが、今回のことを受けて、ならば皇室典範だけではなく憲法の「象徴天皇制」に手を付けることで本丸の9条改正にもっていけるのではないかと考えはしないだろうか。
 小林よしのり氏(漫画家)と所功(ところ・いさお)氏(法学者)が対談でこう語っている。

 「 率直に申せば、陛下は悲鳴をあげておられる、それが聞こえてきたのだと感じました。いつまでも今まで通りにできるはずと、多くの国民から期待されるなかで、それが叶わなくなれば象徴天皇の機能不全に陥ってしまう、現行の皇室典範に則ってやろうとしても、できない状態を迎えておられる。そうした陛下の実情とご意向を知り得る立場にあった近くの方が、信頼できるNHKを通じて漏らしたということでしょうか。
小林 陛下自身の発言となると、政治的発言で憲法違反と批判される可能性が高いですからね。
 ああいう形しかなかったのでしょうね。ここまで陛下を追い詰めていたのかと、国民ひとりひとりが気づかされたはずです。
小林 今回のことで、陛下は本当に疲れておられる、陛下のお望みのことをしてあげるべきだと、ここはようやく国民の合意が取れたと思うんですよ。
 陛下が譲位すれば当然、皇太子殿下が天皇になられる。すると、現行の皇室典範では天皇の直系男子しか皇太子になれないため皇太子が不在になるという問題や、結婚適齢期を迎えられる眞子さま佳子さまのために女性宮家をつくらなくていいのか、天皇の直系にあたる愛子さまはどんなお立場になるのか、といったさまざまな問題を同時に考えるしかなくなる。
 これまで皇室典範改正問題は何度説明しても理解してもらえなかったのが、陛下の生前退位によって一気に国民的関心事になった」

 ここはぜひ天皇が会見を開いて、率直にご自分の気持ちを国民に語ることである。その上で、天皇の公務を大幅に減らす、生前退位するにはどのような法改正が必要かなどを、日本人全体で考えることである。天皇は国民の総意の象徴なのだから。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   


元木昌彦(もとき・まさひこ)
金曜日「読んだ気になる!週刊誌」担当。1945年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社に入社。『FRIDAY』『週刊現代』の編集長をつとめる。「サイゾー」「J-CASTニュース」「週刊金曜日」で連載記事を執筆、また上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで「編集学」の講師もつとめている。2013年6月、「eBook Japan」で元木昌彦責任編集『e-ノンフィクション文庫』を創刊。著書に『週刊誌は死なず』(朝日新書)など。
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