中秋の名月が近づくと、ゆっくり歩きたくなるルートがある。千代の古道だ。松尾大社から日本三大名月観賞地の大沢池(嵯峨大覚寺)へと続く約2キロメートルの、平安貴族が嵯峨野遊行に通っていたという道である。

 古代に神聖な葬送の地であった嵯峨野には、丸く連なる山々と、広沢池や大沢池などの人工池が点在し、穏やかな光景が広がっている。それは嵐山にほど近いと思えぬような、のんびりとした里山であり、なにより大沢池や広沢池と名月という組み合わせが素晴らしい。池の水面を月がはしるその様子はとても綺麗だ。

 嵯峨天皇(809~823年在位)は、中国(唐)の洞庭湖を模して日本最古の林泉式庭園である大沢池を造らせた。名月の夜には、五大堂観月台から池越しに見える音戸山(おんどやま)に月が昇る。そして、広沢池では西に愛宕山(あたごやま)を背にしつつ、反対の東から大きな月の昇る様子が楽しめる。

 千代の古道という名称を、数多(あまた)の歌人が歌に詠んでいる。諸説あるようだが、在原行平(818~893)が最初だとされている。

 「さがの山 みゆき絶えにし 芹川(せりかわ)の 千代のふる道 跡はありけり」(後撰和歌集)。

 藤原定家(1162~1241)は『新古今和歌集』で、

 「さがの山 千代のふる道 あととめて また露わくる 望月の駒」

と、詠んでいる。

 千代の古道の魅力は、往時を偲ばせるようなさまざまな文化財に出会うことができる点にもある。特に葬送地であるゆえに数々の古墳が散在している。運がよければ、私有地にある貴重な石室などの特別公開に出くわすこともある。また、前述の音戸山(別名・さざれ石山)は、嵯峨天皇が行幸の際に休息地としていた場所で、天皇は山頂にあった石に「さざれ石」と名づけた。この石が「君が代」を生んだ石であり、いまもあるという。一目見たいものだが、いまは京都市管轄地で開放されていない。ぜひ公開して欲しい。


広沢池越しに望む音戸山(写真中央)。広沢池は古くから農業用のため池として用いられてきた。日本三沢の一つに数えられる。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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