清水寺に向かう参道は十数通りあり、どの道も甚だしい人込みである。それでも、周辺は名所旧跡揃いなので、どの道を歩こうかと考えつつ、何度行っても楽しい場所である。

 清水寺は798(延暦17)年に創建され、参道として最も古い歴史をもつのは、創建の頃から確認される「清水坂(松原通)」である。だが、この参道に人が溢れていたのは、東大路の清水道交差点に市電の駅があった頃までで、現代では比較的空いている道になっている。最近は、団体客なら五条坂をバスで行くし、東山を散策しながら歩く人ならば、石塀小路より高台寺を経るなどしながら、二年坂、産寧坂(三年坂とも)を行く人が多いだろうか。あるいは、東大路から八坂の塔を回っていく道かもしれない。

 緩やかな登り道の二年坂(140メートル)、それに続く46の石段坂になっている産寧坂(100メートル)には、昔から歴史的建造物をいかして清水焼や古美術、漆器や扇子などの少し高級な土産物店が多く建ち並んでいる。「産寧坂」という名称の由来にはいくつかの説があり、江戸期の地誌「京童(きょうわらべ)」には、次のように記されている。

 「ここをさんねんざかというは、大同三年にひきならしたるゆへ三年坂ともいへり。また、清水寺のこやすの塔に続きたるゆへ、産寧坂といふ」

 坂上田村麻呂によって、二年坂が807(大同2)年、産寧坂が808(大同3)年に開かれたので、この名がついたという説が有力である。現在、清水寺本堂の南にある子安塔(こやすのとう)は、明治末期まで入り口の仁王門前にあった。この子安観音(子安塔)は安産を祈願する場所なので、安産にかけて「産寧坂」と呼ばれるようになったともいわれる。また、産後のお礼参りに再び登るため、「再念坂」と呼ぶこともあったそうである。

 本当に話題の尽きない道で、坂本龍馬の定宿であった明保野(あけぼの)亭や、竹久夢二の寓居跡もある。また、「この坂で転ぶと3年以内に死ぬ」という穏やかならない俗説があり、これは坂を登るとき、足下を気をつけるよう促す意味があるとか。

 

   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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